2023.01.06

石上神宮観光案内

石上神宮は色々と謎と特徴の多い神社です。謎の多さ故色々なアニメや小説のモチーフになることも多いです。

 

1)主祭神が神様そのものでは無く、刀やモノ(とくさのかんだから)に宿る霊(神)であること。

刀に関しては祭神として4本存在し、祭神と関係のない有名な刀(七支刀)も所蔵しています。

 

2)祝詞が特殊。

多くの神社では、大祓の詞や、祓詞が一般的ですが、石上神宮では朝拝などでも、十種祓詞(とくさのはらえのことば)、ひふみ祓詞(ひふみのはらえのことば)が日常的に奏上されます。十種祓詞の”布留部(ふるべ)由良由良(ゆらゆら)と布留部(ふるべ) 此(か)く為(な)しては 死人(まかりしひと)も生(い)き反(かえ)らんと”の部分やひふみ祓詞の”ひふみ よいむなや こともちろらね”の部分の独特に言い回しからアニメや小説の題材にもされています。

 

3)関連する神様や豪族に謎が多い。

主祭神の布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)は、饒速日命(にぎはやひのみこと)という神様が天津神から授かった十種の神宝に宿る神様ですが、饒速日命という神様自体が古事記、日本書紀では名前はでで来るものの記述が少なく別名も多いため謎が多い神様です。その子孫の物部氏も謎が多いです。

 

4)境内に鶏がたくさんいる。そしてとても元気です。

 

5)朝拝がお勧め。

石上神宮を参拝されるのでしたら朝8:30からの朝拝がお勧めです。普段上がれない拝殿に上がれますし、十種祓詞(とくさのはらえのことば)、ひふみ祓詞(ひふみのはらえのことば)を奏上することができます。また朝は鶏のとても元気な姿を見ることができます。

 

石上神宮の祭神と刀と種類について

神話の刀は別名が多くとてもわかりにくいです。簡単に説明します。

石上神宮に祀られている刀の神様は4種類あります。そのうち2種類が石上神宮にあります。

 

1)主祭神で現存する刀:

  • ふつのみたま
  • ふつしみたま

 

2)祭神で石上神宮には現存しないと思われる刀

  • 八握剣(十種の神宝のひとつ)
  • 草薙の剣(出雲建雄神社の祭神で三種の神器)

 

3)祭神では無いが現存する有名な刀

  • 七支刀

主祭神 刀の神 1) ふつ の みたまのおおかみ

ふつみたまのおおかみ

布都御魂という剣に宿る神様。

別名として韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)、布都御魂剣、佐士布都神(さじふつのかみ)、甕布都(みかふつのかみ)。

剣の内容については、鹿島神宮で祀られている”武甕槌神(たけみかづちのかみ)が葦原中つ国を平定する際に持っていた剣で神武東征の際に高倉下が神武天皇に渡し大和平定に活躍した剣。

禁足地発掘の際に実際に見つかり、刀鍛冶師の月山貞一(初代)がレプリカ二本が石上神宮に奉納されている。約85cmの内反り片刃の剣。また鹿島神宮にも布都御魂が存在しコチラは奈良時代〜平安時代後に作られたモノとされています。

 

 

主祭神 刀の神 2) ふつ し みたまのおおかみ

ふつみたまのおおかみ

布都斯魂という剣に宿る神様。

別名として天羽々斬(あめのはばきり、あめのははきり)、天十握剣(あめのとつかのつるぎ)、蛇之麁正(おろちのあらまさ)蛇之韓鋤(をろちのからさひ/おろちのからさび)天蠅斫剣(あめのははきりのつるぎ/あめのはえきりのつるぎ)

剣の内容については素戔嗚命が出雲国のヤマタノオロチを退治した時に用いた神剣。

禁足地発掘で実物が見つかっている110cmと片刃の剣。

鹿島神宮にも同名の刀が存在します。

 

 

主祭神 十種の神宝の宿る神様 ふる のみたまのおおかみ

ふるのみたまのおおかみ。

天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)という十種の神宝に宿られる神様。

神宝の種類は、

2種の鏡、1種の剣、4種の玉、3種の比禮からなります。

※比禮とは着物の女性が厄よけなどを目的に掛ける長い布のこと

  • 瀛都鏡(おきつかがみ)
  • 邊都鏡(へつかがみ)
  • 八握劍(やつかのつるぎ)
  • 生玉(いくたま)
  • 足玉(たるたま)
  • 死反玉(まかるかえしのたま)
  • 道反玉(ちがえしのたま)
  • 蛇比禮(へみのひれ)
  • 蜂比禮(はちひれ)
  • 品物比禮(くさぐさのもののひれ)

現物が残っているかどうかは分かりません。鎮魂祭という神事は、紙に書いた天璽十種瑞宝を振りながら、十種祓詞を奏上しながら行います

十種類で具体的な内容を簡単に説明します。

 

十種の神宝 1)瀛都鏡(おきつかがみ)

遠くを映し出す鏡

十種の神宝 2)邊都鏡(へつかがみ) 

近くを映し出す鏡

十種の神宝 3)八握劍(やつかのつるぎ)

内に湧く邪気を絶つ剣

十種の神宝 4)生玉(いくたま)

手に取るものを生きながらえる玉

十種の神宝 5)足玉(たるたま)

姿形が満ちる玉

十種の神宝 6)死反玉(まかるかえしのたま)

死者を蘇らせる玉

十種の神宝 7)道反玉(ちかへしのたま)

過ちから戻し正す玉

十種の神宝 8)蛇比禮(へみのひれ)

這い寄る蛇の害を防ぐひれ

十種の神宝 9)蜂比禮(はちひれ)

飛び交う虫の害を払うひれ

十種の神宝 10)品物比禮(くさぐさのもののひれ)

すべての邪気を祓い清めるひれ

祭神 刀の神 草薙の剣 (石上神宮 摂社 出雲建雄神社)

出雲建雄神社は石上神宮の楼門の東側の小高い丘の上にあります。

由緒には、御祭神は”出雲建雄神”で草薙の剣の荒魂と書かれています。

別名としては、倶娑那伎能都留伎、、草那藝剣、天叢雲剣、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、草那藝之大刀(くさなぎのたち)

剣の内容については”くざなぎのつるぎ”は素戔嗚命が八岐大蛇を退治したときに八岐大蛇の尾っぽから見つかった神剣でヤマトタケルが東征の際に使った神剣。

三種の神器の一つで現物は熱田神宮で祀られています。

出雲建雄神社については江戸時代に書かれた由緒には、福住町にある石上神宮の奥宮とも言われる”八つ岩”との関係が分かる言い伝えがあります。

(言い伝え)

天武天皇のとき、布留の物部邑智という神主があった。ある夜、夢を見た。八つの竜が八つの頭を出して一つの神剣を守って、出雲の国から八重雲にのって光を放ちつつ布留山の奥へ飛んできて山の中に落ちた。邑智は、夢に教えられた場所に来ると、一つの岩を中心にして神剣が刺してあり、八つ岩は、はじけていた。そして一人の神女が現れて、『神剣を布留社の高庭にお祀りください』という。そこで、布留社の南に神殿を建て祀ったのが、今の出雲建雄神社(若宮)である。

八つ岩詳細(←クリック)

朝拝について

毎朝午前8時30分より朝拝神事が始まります。石上大神様(いそのかみのおおかみさま)は気力を甦らせ、命に強い活力を与えてくださる神様です。起死回生の力のある神様です。

初めての場合は祈祷受付所にて、「神拝詞(しんぱいし);祝詞を書いた紙」(初穂料300円)を受け取ると祝詞をみながら奏上できます。

朝拝に流れは以下の通り(20分程度)〜石上神宮公式サイトより〜

朝拝の次第

○午前8時30分頃 拝殿にて朝拝の開始を知らせる太鼓が境内に響きわたります。

○各自拝殿に昇殿し座ります。

○始めるにあたり、お祓いを受けます。

○次に正面先導の神職に合わせて、二拝二拍手をして、大祓詞(おおはらえのことば)、十種祓詞(とくさのはらえのことば)、ひふみ祓詞(ひふみのはらえのことば)を全員で奏上、終わって二拍手二拝します。

○続いて先導の神職に合わせて、二拝二拍手をして、神拝詞(しんぱいし)、称言(たたえごと)を全員で奏上、終わって二拍手二拝します。

○続いて、一礼の後、先導の神職に合わせて、明治天皇御製を二首奉唱します。

○最後に、心静かに神職に合わせて、二拝二拍手一拝の作法にて拝礼します。

以上にて朝拝は終わります。

 

朝拝の祝詞 十種祓詞(とくさのはらえのことば)

高天原(たかまのはら)に神(かむ)留(づま)り坐(ま)す 皇吾親神漏岐(すめらがむつかむろき) 神漏美命(かむろみのみこと)以(も)ちて皇神等(すめがみたち)の鋳顕(いあら)わし給(たま)う 十種(とくさ)の瑞宝(みずのたから)を饒速日命(にぎはやひのみこと)に授(さず)け給(たま)い 天津御親神(あまつみおやのかみ)は言誨(ことをし)え詔(の)り給(たま)わく 汝(いまし)命(みこと)この瑞宝(みずのたから)を以(も)ちて 豊葦原(とよあしはら)の中国(なかつくに)に天降(あまくだ)り坐(ま)して 御倉棚(みくらたな)に鎮(しず)め置(お)きて 蒼生(あおひとぐさ)の病疾(やまひ)の事(こと)有(あ)らば この十種(とくさ)の瑞宝(みずのたから)以(も)ちて 一(ひと) 二(ふた) 三(み) 四(よ) 五(いつ) 六(むゆ) 七(なな) 八(や) 九十(ここのたり)と唱(とな)えつつ 布留部(ふるべ)由良由良(ゆらゆら)と布留部(ふるべ) 此(か)く為(な)しては 死人(まかりしひと)も生(い)き反(かえ)らんと 事誨(ことをし)え給(たま)いし随(まにま)に饒速日命(にぎはやひのみこと)は天磐船(あめのいわふね)に乗(の)りて 河内国(かわちのくに)の河上(かわかみ)の哮峰(いかるがみね)に天降(あまくだ)り坐(ま)し給(たま)いしを 爾後(そののち)大和国山辺郡(やまとのくにのやまべのこおり)の布瑠(ふる)の高庭(たかにわ)なる石上神宮(いそのかみのかみのみや)に遷(うつ)し鎮(しず)め斎(いつ)き奉(まつ)り 代代(よよ)其(そ)が瑞宝(みずのたから)の御(み)教言(おしえごと)を 蒼生(あおひとぐさ)の為(ため)に 布瑠部(ふるべ)の神辞(かむごと)と仕(つか)え奉(まつ)れり 故(かれ)此(この)瑞宝(みずのたから)とは 瀛都鏡(おきつかがみ) 邊都鏡(へつかがみ) 八握劍(やつかのつるぎ) 生玉(いくたま) 足玉(たるたま) 死反玉(まかるかえしのたま) 道反玉(ちがえしのたま) 蛇比禮(へみのひれ) 蜂比禮(はちひれ) 品物比禮(くさぐさのもののひれ)の十種(とくさ)を布瑠御魂神(ふるのみたまのかみ)と尊(とうと)み敬(いやま)い斎(いつ)き奉(まつ)る事(こと)の由縁(よし)を 平(たいら)けく安(やす)らけく聞(き)こし食(め)して 蒼生(あおひとぐさ)の上(うえ)に 罹(か)かれる災害(わざわい)また諸諸(もろもろ)の疾病(やまい)をも 布瑠比除(ふるいの)け祓(はら)い遣(や)り給(たま)い 寿命(よわい)長(なが)く五十橿八桑枝(いかしやぐわえ)の如(ごと)く 立栄(たちさか)えしめ常盤(ときわ)に堅盤(かきわ)に守(まも)り幸(さきわ)え給(たま)えと恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まを)す。

朝拝の祝詞 ひふみの祝詞

ひふみ よいむなや こともちろらね
しきる ゆゐつわぬ そをたはめくか
うおえ にさりへて のますあせゑほれけ
(意味の一例)
森羅万象は、宇宙の偉大な恵みによって、生をうけて生まれてきたものです。
私たちは、日常生活の中においても、すべては日の神、月の神の慈しみによって、生かされていることに大きな感謝を感じなさい。
日の神、月の神は常に、死や老い、病の苦悩を取り除き、悪神が私たちを苦しめるのを取り除きます。
陸地では毎年豊かな実りを与え、海では毎日豊漁を与えてくださいます。
老若男女、全ての人が毎日を喜びと共に働いて、飢えることなく生きています。
朝に起きて、仕事に出て、汗をして働き、夜には夫婦の営みをして子孫は繁栄します。

常に熱心な心で、日の神、月の神の出現を祈り、信仰心を持ちましょう。

この訳はそれぞれあるのですが、解釈はどれも同じ意味合いです。

十種の神宝の持ち主 ニギハヤヒノミコト(饒速日命)

石上神宮の祭神 天璽十種瑞宝を天津神からいただいたニギハヤヒノミコト(饒速日命)は天照大神の子孫ということになるので重要な神様のはずですが、驚くほど記述が少なく、謎に満ちています。

石上神宮で奏上される”十種祓詞”の中でもニギハヤヒノミコトは出てきますが、饒速日命を祭神にする神社は、磐船神社や矢田坐久志玉比古神社など本当に少ないです。

日本書紀の記述は以下のようになっています。

神武東征に先立ち、天照大神から十種の神宝を授かり天磐船(あまのいわふね)に乗って河内国(大阪府交野市)の河上哮ケ峯(いかるがみね)の地(現在の磐船神社周辺の一帯地と考えられている)に降臨し、その後大和国(奈良県)に移ったとされている。

ニギハヤヒが祀られる磐船神社の写真と墳墓とされる生駒市白庭山の写真。

境内案内 柿本人麻呂碑

石上神宮鳥居の手前北側にあります。

 

”未通女(おとめ)らが 袖振山(そでふるやま)の 瑞垣(みづがき)の 久しき時ゆ 思ひき吾(われ)は”

万葉集巻4 501番 柿本人麻呂の歌で意味は、

乙女が袖を振る、そのふると名も同じ布留山(ふるやま)の古くより神様をまつる瑞垣(みずがき)のように、長い間あの人のことを思ってきた、わたしは」と言った歌意となります。

境内案内 神田(ごうだ)神社

石上神宮駐車場の中にあります。

神武天皇が御東征の途中、熊野にて御遭難になった折に、高天原から下された当神宮の御神体である神剣「韴霊(ふつのみたま)」を天皇に奉った高倉下命(たかくらじのみこと)をお祀りしています。

拝殿の右側には磐座である烏帽子岩があります。

烏帽子岩には次のような説話があります。

(烏帽子岩の説話)

昔、天理市の布留(ふる)川のほとりに、1人のおばあさんが住んでいました。ある日、布留川で洗濯をしていると、川上から、ひとふりの剣が流れてきました。不思議なことに、この剣の刃に川岸の木の根や岩がふれると、スッスッと見事に切れてしまいます。不審に思ったおばあさんが、洗っていた白い布でその剣を拾い上げてみると、とても立派な剣で、鞘もないのに刃こぼれ1つありません。「これは普通の剣ではない。」と思ったおばあさんは、石上神宮へ奉納しました。正直なおばあさんだということで、神主さんから沢山のごほうびを頂きました。

この話を聞いた、隣に住む欲張りなおばあさんは、もっと何か良い物が流れてくるに違いないと思って、毎朝、早く起きて川に通いましたが、何も流れてきません。
ある日、良い夢を見たので、小躍りして、まだ明けやらぬ川に行ってみました。すると川上から、烏帽子や冠が流れてきました。ばあさんは、さっそく素足になって川に入り、流れてくる烏帽子や冠を拾い、堤に上がりました。やがて夜が白々と明けてきました。明るくなってきてからよく見ると、それは、なんと烏帽子や冠ではなく、そんな形をした岩でした。今、烏帽子岩は境内の右手にあります。また正直ばあさんが布が留めたというので、その土地の名を、布留と呼ぶようになったと言うことです。

境内案内 大鳥居

高さ10mで平成23年に建て替えられた檜でできています。鳥居の中央の額には”ふるのみたまのおおかみ”と書かれています。

 

境内案内 社務所

参道の左手にあります。祈祷以外の各種の受付(結婚式・出張祭・崇敬会入会・団体参拝・一部の神符、守札の授与など)も行っています。

境内案内 手水舎

参拝の前に手を洗い口をゆすぎ身を清めます。

季節の花やひよこがお出迎えします。

境内案内 鏡池

奈良県の天然記念物に指定されているワタカという魚が生息しています。

別名を「馬魚(ばぎょ)」といいますが、その由来については次の様な伝説があります。

南北朝時代、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が吉野に御潜幸になる途中、内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)の萱御所(かやのごしょ)に入御せられました。その時、天皇のあとを追って赤松円心(あかまつえんしん)等の軍勢も当神宮の辺に到着し、軍馬がしきりに嘶(いなな)きました。天皇の御乗馬がこれに応じて嘶こうとしたため、天皇の従者は円心等にさとられるのを憂い、御乗馬の首を斬って本堂前の池に投じました。その後、本堂池に草を食べる魚が住みつくようになり、人々はこれは御乗馬の首が魚になったのだと考え、「馬魚」と呼ぶようになったと伝えられています。

境内案内 牛の銅像と鶏

なぜ牛の銅像か謎ですが、もしかしたら摂社 出雲建雄神社が素戔嗚命(牛頭大王)と関係あるのか?よく分かりません。

石上神宮の鶏はいつも元気に参拝者を迎えてくれます。木の上まで飛ぶ鶏もいますし、”コケコッコー”と元気に鳴く鶏もいます。

鶏の鳴き声はコチラ →Instagram(クリック)

 

境内案内 神杉

樹齢は300年を超えるそうです。

神杉にまつわる伝説(〜石上神宮公式サイトより)

昔、布留川の上流から、一振りの剣(つるぎ)が美しい水の流れとともに、泳ぐように流れてきました。剣は流れながら、触れるものをつぎつぎに2つに切っていきました。
そのとき、川の下流では、1人の娘が洗濯をしていました。娘がふと頭を上げて川上を見ると、岩や木を切りながら流れてくる剣が目につきました。すばやく避けようとした瞬間、洗いすすがれた白い布の中に剣が流れ込んだのです。あわや布が切れたかと思いましたが、そのまま剣は布の中にぴたりと留まっているではありませんか。
こんなに鋭い剣が、布も切らずにその中に留まったことへの驚きは言いようもありません。娘はその不思議さにつくづく感心し、「これはただごとではない、神様のされることだ」と、さっそくその見事な剣を石上神宮に奉納しました。そして、剣が布に留まった所ということから、布留という地名ができたということです。

また、万葉集に「布留の神杉」と歌われている神杉にまつわる、つぎのような話も伝えられています。
昔、いその神の振る川(今の布留川)は、山深く、樹木が生い茂り、流れも美しい川でした。当時の人々の暮らしに欠かすことのできない貴重な川だったのです。
ある日、1人の女が白い布を洗っていると、上流から草木をなぎ倒しながら、泳ぐように流れを下ってくる細長いものが目につきました。みるみるうちに白布にすっぽりと包まれたそれは、よく見れば剣先鋭く、まばゆいばかりに光を放っている鉾でした。驚いた女は、自分の家に持ち帰るのをおそれ、川のほとりに立てて日ごとお祭りを欠かさずに行いました。そのおかげで、人々は日々平和な生活ができたといいます。
その後、鉾も雨風にさらされて朽ち果ててしまったので、その地に穴を掘り、鉾先を埋めて祭りました。すると、間もなくその地に杉が芽生え、天をもさすほどにすくすくと成長しました。そして、この杉が布留の神杉と言われるようになったということです。

境内案内 回廊

拝殿前の斎庭を取り囲むように建てられています。

石上神宮の観光案内で回廊の写真がよく使われており、石上神宮らしさを表す風景といえるでしょう。

境内案内 祓所

最も大切な祭典の時、参列者等などを修祓(しゅうばつ)する所です。
注連縄が張り廻らされており、清浄な場所として、人間は普段は立ち入ることはできません。

境内案内 楼門

鎌倉時代後醍醐天皇の時代に建てられました。

当初は鐘楼門でしたが、明治維新 神仏希釈により鐘は売却されました。

額には、”萬古猶新(ばんこゆうしん)”と書かれています。

(意味)
萬吉のものでありながら
時を越えて、なお新鮮さを
失わない事。
時の移ろいと共に消えゆく
ものではなく、本当に大切な
物とは
[不変]
である。

境内案内 拝殿

現在する日本最古の拝殿で国宝に指定されています。当神社に信仰に厚かった白河天皇が鎮魂祭のため宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたと伝わっているようです。

境内案内 天神社

楼門の向かい側小高い丘の上一番手前にあります。

天神社という名から菅原道真を連想しますが違います。石上神宮創建当初からあり、鎮魂祭と深い関わりがあります。

御祭神は高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)の二柱をお祀りしています。

境内案内 七座神社

楼門の向かい側小高い丘の上で他の摂社と直角の方向に建っています。

天神社と同じく、鎮魂祭と深い関わりのある神社です。

祭神は、生産霊神(いくむすびのかみ・中央)・足産霊神(たるむすびのかみ・生産霊神の右)・魂留産霊神(たまつめむすびのかみ・生産霊神の左)・大宮能売神(おおみやのめのかみ・足産霊神の右)・御膳都神(みけつかみ・魂留産霊神の左)・辞代主神(ことしろぬしのかみ・右)・大直日神(おおなおびのかみ・左)の七柱をお祀りしています。

天神社と併せて宮中八神と、大直日神(おおなおびのかみ)をお祀りしています。

大直日神とは、

大直日神は、黄泉(よみのくに)から戻った伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)が禊(みそぎ)をしたとき、八十枉津日(やそまがつひの)神の「枉」(不浄、不幸)を正そうとして、神直日(かむなおひの)神の次に生まれました。

大直日神は凶事を吉事に変える力、またその力を持つ神とも呼ばれます。

 

境内案内 猿田彦神社

楼門の向かい側小高い丘 一番奥にあります。

主祭神は猿田彦神、配祀神として住吉三神(底筒男神(そこつつのおのかみ)、 中筒男神(なかつつのおのかみ)、 上筒男神(うわつつのおのかみ))と神功皇后である息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、高龗神を祀ります。

元々石上神宮東山中にあった社と内山永久寺の道祖神社と内山永久寺の鎮守神社を移設合祀しています。

境内案内 出雲建雄神社 拝殿

元来は内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)の鎮守の住吉社の拝殿でしたが、大正3年に現在地に移築されました。

境内案内 祓戸神社

6月23日 午前10時 祓戸神社例祭

御祭神である、瀬織津比咩(せおりつひめ)・速開都比咩(はやあきつひめ)・気吹戸主(いぶきどぬし)・速佐須良比咩(はやさすらひめ)の四神を祀る祓戸神社の1年に1度の例祭が宮司以下の奉仕にて、午前10時より斎行されます。
この神社は拝殿の東方、禊場(みそぎじょう)に鎮座しているので、ふだんは立ち入ることはできません。
特に参列希望の方は事前に連絡をお願い致します。

アクセス

住所:奈良県天理市布留町384

山の辺の道マップ参照。ビジネス旅館やまべから南東に約1.5km。バスはほとんと通っていないので、徒歩、自転車、お車でのアクセスとなります