2023.06.17

矢田寺(金剛山寺)あじさい園観光情報

「矢田のお地蔵さん」で親しまれている矢田寺(矢田山・金剛山寺)は 日本最古の延命地蔵菩薩を安置しています。
今から約1300年前、後の天武天皇が 壬申の乱の戦勝祈願のため矢田山に登られ、即位後 七堂伽欄48カ所坊を造営されたのがはじまりです。
当初は十一面観世音菩薩と吉祥天女を本尊としていましたが、 平安時代に本尊が地蔵菩薩がに変更となり地蔵信仰発祥の地といえます。

現在はあじさい寺として有名で関西のあじさい寺人気ランキングで上位に位置しています約60種、10,000株のあじさいが植えられていています。スケールの大きさを楽しめます。

 

山門

あじさい園開催中はここで拝観料金を支払います。通常は入山無料です。

あじさい園は通常、6月1日〜6月30日まで開催され入寮料金は大人¥700です。あじさい園開催中は本堂の仏像すべてと、焔魔堂、北僧坊の仏像が拝観できます。

参道(階段)

境内に向かうまでの階段は結構急です。参道沿いにはお地蔵様が並んでいます。200段ちょっとあるようです。足腰に自信の無い方はタクシーで南僧坊前まで行くという裏技もあります。

参道(平坦部)

階段を上りきると塀がありに西向きにまっすぐな参道が伸びていて突き当たり本堂、左右にその他お堂が並んでいます。あじさい園は本堂手前の左右と本堂裏手の三ヶ所あります。

大門坊

参道右手(北側)にあります。

弘法大師が25歳の時に不動明王を図写して、 国家安穏、万民豊楽の誓願をたてて留錫され、 「三大秘密教門院」と命名されたお堂です。持仏堂である千佛堂は、昭和55年に建立され、 全国各地より奉納された一千体の地蔵尊を安置しています。

茶室”一如庵”では大和盆地を見下ろしてお茶とお茶菓子を楽しむことができます。

写経会が毎月23日開かれています。

 

念仏院

参道左手(南側)にあります。

矢田寺のお堂のひとつで、納骨や水子供養、先祖供養などを行う場所。

そのほかにも、書道教室や写経、写仏教室なども行っています。

聖天堂

参道右手、大門坊の入り口の門の先にあります。

江戸時代の高僧江戸時代中期の高僧、慈雲尊者が建てたお堂です。大聖歓喜天(聖天さま)を本尊とした諸仏があるが非公開です。(毎月1日、16日に護摩祈祷が行われます。)

味噌なめ地蔵

参道右手、あじさい見本園の入り口を超えたところにあります。

味噌を美味しくするお地蔵さん。以下のような言い伝えがあるとか。

(言い伝え)

昔、矢田寺の麓に、ある農家のお嫁さんが住んでいた。昔はどの家でも味噌は家で作っていたが、その年のお嫁さんの味噌は、どうしてもうまくいかなかった。
ある夜、不思議な夢をみた。枕元にお地蔵さんが立たれ、「そんなに困っているなら、一度私の口に味噌を塗って食べさせておくれ。おいしい味噌に味付けしてあげよう」と言われた。
半信半疑のお嫁さんは、翌日、いつもお参りしている矢田寺へ行ってみると、夢で見たのと同じお地蔵さんがおられるではないか。早速家から味噌を持ってきて、そのお口に自分の味噌を塗りつけた。
数日して、味噌桶(おけ)の蓋(ふた)をとって出してみると、おやおや、何と、味噌は本当においしくなっていた。お嫁さんは大喜び。そのお地蔵さんは「味噌づくりを助けてくださる有難いお地蔵さん」と評判になったそうです。

 

このお地蔵さん、今も矢田寺本堂の石段下の北側に「味噌なめ地蔵」として赤いよだれかけをかけ、優しいお顔で立っておられる。今も味噌をお供えしたり、口に味噌を塗っている人もおられるとか。

あじさい見本園

参道の右手(北がわ)、聖天堂を超えたところにあります。

コンパクトながらたくさんの種類のあじさいが観賞できます。

あじさい園(回遊式あじさい大庭園)

参道左手側(南側)。念仏堂の向こう側にあります。山の斜面全体があじさい園となっており、60種、10,000株のあじさいはスケール感抜群で、近畿の人気あじさい園ランキングで上位を占めます。

春日神社

建立年代は室町時代末期と考えられています。

もとは金剛山寺の鎮守でした。昭和25(1950)年に解体修理が行われ、近年では昭和54(1979)年に屋根の葺き替えと部分修理が行われています。

管理は矢田寺ではなく春日神社となっています。

本堂

本堂仏像配置は配置図参照下さい。

創建当初は本尊が、十一面観音菩薩と吉祥天女立像だったが、地蔵菩薩立像(延命地蔵)に変更された。(日本最古の地蔵。平安時代)本堂裏には試みの地蔵も安置される。かつての本十一面観音菩薩は左脇侍(参拝者から見て右側)、吉祥天女像は右脇侍(参拝者から見て左側)におられます。さらに外側には、二天王像(阿形、吽形)がおられます。この二天王像は唐招提寺にあった四天王のうちの2体で鑑真が連れてきた仏師が作ったものです。

  • 矢田地蔵縁起;矢田寺の起こり(縁起)を説明している絵です。人々を裁くことに心を痛めていた閻魔様。小野篁に相談。小野篁は満慶(満米)上人を連れて、閻魔庁へ。閻魔様の悩みを取り除いた満慶上人は地獄の様子を見せてもらうことに。地獄の猛火のなかで、必死に人々や生き物を救う地蔵菩薩に出会います。人々と地蔵菩薩の縁を結ぶように言われます。地獄から帰ってきた満慶さんは、地蔵菩薩の姿を思い出すがままに彫ろうとしますが、うまく彫れず。そこに4人の老人(春日四社明神)が表れて、地獄で会ったお地蔵さんそのものの姿を彫り上げました。これが本堂ご本尊の地蔵菩薩とされる。満慶上人がためしに彫ったお像は「試みの地蔵菩薩」として祀ることになりました。
  • 地蔵簿立像(延命地蔵):平安時代、地蔵信仰が盛んになり、ご本尊になられたお地蔵さま。右手には錫杖(しゃくじょう)を持たず親指と人さし指でわっかを作っったOKサインは仏教上の印相で来迎印(らいごういん)をしています。そのお姿は「矢田型地蔵」と呼ばれています。来迎印という印の形はお地蔵様ではなく、阿弥陀如来がする指の形です。阿弥陀如来は、亡くなった人をお迎えに上が李極楽浄土にお連れする役割をすると言われています。来迎印と説法印はよく似ていますが。説法印が親指と人差し指の先でわっかを作って、中指〜小指を広げているに対し、来迎印は親指の第一関節に人差し指の先を付けるおり中指〜小指をくっつけている点が違います。来迎印の中でも中指〜小指をピンと伸ばしている定印は下品上生(げぼんじょうしょう)といわれ9つある極楽浄土の内の一つの世界を表しています。
  • 十一面観音立像:創建当初はご本尊だったといわれます。木造のお像ですが、左肩からかけている条帛(帯状の布)は乾漆(木屎をまぜた漆で、成型に優れる)の技法が使われているのだとか。
  • 吉祥天女像:右脇侍(みぎきょうじ、本尊から見て右、参拝者から見て本尊の向かって左側)におられます。(本堂仏像安置図参照)像の高さは189センチメートルで、寄木造りの重要文化財の立像です。左手に如意宝珠を乗せ、右手は与願印風に五指を伸ばしています。頭に檜、体躯に松、天衣に桜の3種の材を用いて造られています。松材を用いる点は珍しいとされています。像の内部にある墨書から、仏師源次(げんじ)等によって製作されたことがわかりました。源次は室町時代奈良の宿院仏師の棟梁で、安定感のある姿態、衣の彫り口、つり上がった眼、太い鼻梁と癖のある小鼻など、源次工房による後半期の作品の特徴を示しています。
  • 二天像:須弥壇手前でお三方をおまもりしているの二天像。像容からして、持国天と多聞天かと思われます。

  • 試地蔵菩薩(こころみのじぞうぼさつ)立像:満慶上人が地獄で会ったお地蔵さまを具現化しようとして彫ったという伝説の仏像。印相はご本尊と同じ来迎印の下品上生。

  • 弥陀如来(あみだにょらい)坐像:平安時代の寄木造。一般的にはご本尊として祀られることが多いですが、矢田寺では本堂の裏堂にいらっしゃいます。

石造十三重塔

本堂向かって右手にあります。

北僧坊

本尊:不動明王。その他仏像虚空蔵菩薩。

矢田寺開山の智通僧正の住坊でした。桃山時代には豊臣秀吉の異父弟の大和大納言豊臣秀長公が、郡山城内より書院と茶室を移築し遊居されています。こちらでは精進料理がいただけます。精進料理の胡麻豆腐は手造りだそうです。(要予約)。 食べログリンク ←click

開山堂

開山堂の情報はありませんが、北僧坊の裏手にあります。矢田寺を開山した天武天皇と関係あると思われます。

舎利堂

舎利とはサンスクリット語では火葬した後のご遺骨を意味しますが、通常における舎利とは釈迦のご遺骨のことを指し、それを安置している塔のことを舎利塔と呼びます。釈迦が亡くなったあとに、多くの教えを世界に広めることを目的にご遺骨が細かく分けられました。激しい争奪戦にもなりましたが、米粒くらいの大きさにすることにより持ち運べるようになりました。日本では舎利の象徴とされる玉などを代用として使用することが多く、これを容器に納めて塔の心柱の礎石として建てられます。また、サンスクリット語で米は「sari」と表現され、ご遺骨の状態が白いお米に似ていることからシャリと呼ばれることにも繋がったとされています。

太師堂

太師堂の情報はありませんが、大門坊と同様弘法大師に関連のあるお堂と考えられます。焔魔堂の裏手坂道を登った右手舎利道の手前にあります。

焔魔堂

あじさいシーズンに合わせ、6/1~6/30の期間は閻魔堂も開扉されます。お堂の外から仏像を眺める形です。高齢の女性が縁側に座って仏像の解説や世間話などしていただけます。

赤い顔をした巨大な閻魔大王像が目立ちますが、閻魔さまの両脇に、残りの十王(人が亡くなったときに次にどの世界に行くかを決める裁判官)がズラズラと並んでいます。

  • 奪衣婆(だつえば):向かって左の右下に座っているのが奪衣婆。死者が三途の川を渡ると、奪衣婆が待ち構えていて、衣服を脱がせます。その衣服を木にかけ、枝のしなり具合で罪の重さをはかるといわれます。
  • 業の秤(ごうのはかり)・浄玻璃の鏡罪人は閻魔様の前に連れてこられると、「豪の秤」に乗せられて罪の重さをはかります。それでも本人が罪を認めないと、浄玻璃の鏡に悪事が映し出されるのだそう。

 

南僧坊

本尊毘沙門天像。堂内で精進料理を味わうことができます。(要予約) 食べログリンク←クリック

 

お遍路道

本堂の裏山には「矢田寺八十八ヶ所霊場」があり、四国八十八ヶ所霊場の各本尊を現した石仏を巡ることができます。本堂裏から御影堂までの往復をぐるりと回るコースとなっています。足下が悪く坂道も急なところがあるので時間に余裕がある時にどうぞ。

 

 

御影堂

矢田寺創始のきっかけとなった天武天王像を祀るお堂。拝観不可。

矢田野大石

厳密には矢田寺の境内の外になると思われます。巨大な丸い石。山添村にも同様の巨大石があります。

アクセス

お車;やまべから約30分。
自転車:やまべから約40分(大和川→ 富雄川(サイクリングロード)→県道189(矢田線)
電車:近鉄大和郡山駅からバスで15分。