日本に初めて来たインド僧。
菩提僊那(ぼだいせんな、ボーディセーナ)は、インドの婆羅門僧で奈良の大仏の開眼を行った僧です。
南インドのバラモン階級に生まれ姓はバーラードヴァージャ(婆羅門遅)と伝わっている。青年期にローカタクシャや安世高の偉業を追って、ヒマラヤを越えて入唐し、五台山にも滞在した。唐滞在中に日本からの入唐僧理鏡や第十次遣唐副使中臣名代らの要請により訪日した。行基に迎えられて平城京に入り左京の大安寺に住し、時服を与えられた。
菩提僊那は華厳経の諷誦に優れ、密呪にも通じていた。その密呪は、菩提僊那から日本僧の弟子へ伝授された。
天平勝宝3年(751年)に僧正に任じられ(752年5月26日)には東大寺盧舎那仏像の開眼供養の導師を務めている。こうした功績から菩提僊那は、聖武天皇、行基、良弁と共に東大寺の「四聖」としてその功を称えられている。
天平宝字4年2月25日(760年3月16日)、大安寺において西方を向いて合掌したまま死去した。翌3月2日(3月23日)、登美山右僕射林に葬られた。