2023.07.10

唐招提寺 観光ガイド

唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山です。

多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、天平宝字3年(759)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。

鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。1998年(平成10年)に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。
金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、完成したといわれます。

現在では、奈良時代建立の金堂、講堂が天平の息吹を伝える、貴重な伽藍となっています。

金堂

国宝 奈良時代(8世紀後半)
奈良時代(8世紀後半)建立の寺院金堂としては現存唯一のものである。南大門をくぐった正面にその荘厳な姿を見せる金堂は、8世紀後半の創建時の姿を残す代表的な建築物です。

外観は、正面間口七間(中央間は約4.7m、両端へは次第に狭くなり、3.3m)、奥行き四間の寄棟造で、前面一間通りが吹き放ち、軒を支える組み物は三手先(みてさき)と呼ばれる形式で、その建立年代を示しています。

堂内は、連中央に本尊・盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像、左に千手観音立像(いずれも国宝)が並ぶ姿は、天平時代を彷彿させる厳かな雰囲気に包まれています。

金堂 盧舎那仏

盧舎那仏像国宝 奈良時代(8世紀)
脱活乾漆 漆箔
金堂の本尊で高さは、3メートルを超え、光背の高さは、5.15mにもおよぶ巨像です。盧舎那仏は、大乗の戒律を説く経典である『梵網経』の主尊である。像は千仏光背を負い、蓮華座上に坐す。麻布を漆で貼り固めて造形した脱活乾漆像である。唐招提寺は私寺であるが、制作に手間の掛かる脱活乾漆像であることから、造東大寺司の工人による作と推定されている。また、背後の光背の化仏の数は、862体ありますが、本来は1000体であったといわれています。

 

金堂 薬師如来立像

国宝 平安時代(9世紀)
木心乾漆 漆箔

本尊、盧舎那仏坐像の向かって右側に安置される立像で、国宝。像高336.5センチメートル。盧舎那仏像とは造像技法が異なり、木心に木屎漆(を盛り上げて造形した木心乾漆像である。1972年(昭和47年)の修理時に左の掌の内側に3枚の古銭が納入されているのが発見され、そのうち最も年代の下る隆平永宝が延暦15年(796年)以降の鋳造であることから、本像の制作もそれ以降、つまり平安京遷都後となる。光背はこの像のものとしては幅が広すぎ、他の像の光背を転用したものと推定されている。

金堂 千手観音菩薩立像

国宝。像高535.7センチメートル。奈良時代末期の作で、盧舎那仏像よりはやや時代がさがると思われます。千手観音像は40手(合掌手を含めて42手)で千手を代表させるものが多いが、本像は実際に1,000本の手を表した例で、大手42本の間に小手をびっしりと植え付ける。現状は大手42本、小手911本、計953本であるが、制作当初は計1,000本の手があったとおもわれます。
像が脇手に持っている持物(じもつ)は大部分が後補だが、宮殿、蓮華など当初のものあります。盧舎那仏像と同様、1999年度から2002年度にかけて保存修理が行われ、すべての脇手をいったん取り外し、保存処置をしてから元に戻しました。

金堂 四天王 持国天立像

四天王は仏教世界を護る護法神です。
本来は金堂の須弥壇の四隅に安置され、梵天・帝釈天立像と同時期、同一工房の作と考えられています。四像とも丸みを帯びた顔は、やや平板な目鼻立ちながら重厚な表情で、体つきは全体に力強い印象を与えます。

国宝 奈良時代(8世紀)
木造・乾漆併用 彩色

金堂の須弥壇の東南に位置する四天王の一つで高さ1.85m。
甲冑で身を固め口をへの字に曲げて剣を構える姿は、まさしく武装神といった趣をかもし出しています。

金堂 四天王 増長天立像

金堂の須弥壇の西南に位置する四天王の一つで高さ1.87m。
口を大きく開いた表情に、振り上げた右手には鈷(こ)を持つ姿は、まさしく魔物を威嚇する迫力があります。

金堂 梵天 帝釈天

本来は、金堂本尊・盧舎那仏坐像の左右に安置されていたもので向かって右に梵天、左が帝釈天です。古代インドの護法神で、一対で造像されることが多い仏像です。
両像とも鎧の上に裳(も)をまとい、沓(くつ)を履き、梵天は、さらに袈裟をつけた姿となっています。
大らかな作りの表情は、柔和な印象をたたえています。

唐招提寺 講堂 

平城宮の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築・改造したもので、開放的な空間となっています。

外観は平屋の入母屋造で、現在の姿は鎌倉時代の改造によるところが大きいといわれます。天平時代、平城宮の面影をとどめる唯一の建築物としてきわめて貴重な存在です。

講堂 弥勒如来座像

講堂の本尊で、高さ2.84m。
構造は、寄木造りで、目鼻立ちも大きくはっきりとした力強い表情で、この点からも鎌倉時代の典型的な仏像といえます。

講堂 持国天 増長天 立像

創建当時にさかのぼると考えられる木彫像。
そのずんぐりとした力強い体型は、唐代の仏像を手本としていたもので、鑑真和上とともに来日した唐人の作といわれています。

四天王の内、広目天と多聞天は矢田寺の本堂に祀られています。

戒壇

金堂の西側にある戒壇は、僧となるための授戒が行われる場所です。創建時に築かれたとされていますが、中世に廃され、その後再興されたものの火災により建物は失われました。

現在は、3段の石壇のみが残り、その上に昭和53年(1978)にインド・サンチーの古塔を模した宝塔が築かれました。

御影堂(みえいどう)

境内の北側に位置する土塀に囲まれ、ひっそりとした瀟洒な建物。元は、興福寺の別当坊だった一乗院宸殿の遺構で明治以降は県庁や奈良地方裁判所の庁舎として使われたものを昭和39年(1964)移築復元したものです。

現在は、鑑真和上坐像(国宝)が奉安されており、昭和46年から57年にかけて東山魁夷画伯が描かれた、鑑真和上坐像厨子扉絵、ふすま絵、障壁画が収められています。

2023年現在御影堂は会修です。御影堂の特別公開予定は、

2023年 9月29日 観月讃仏会 18:00〜21:00

2023年 11月11〜12日  鑑真和上結縁写経会

唐招提寺 宝蔵 経堂

経蔵とともに並んで建つ校倉で、北側の蔵です。

唐招提寺創建にあわせて建立された奈良時代の建物です。

本坊

建物の中に入ることはできません。ハスの鉢が植えられています。

開山堂

鑑真和上座像のレプリカが祀られています。実物は一年に数回しか公開されないですがコチラは一年中公開されています。

唐招提寺 鼓楼

金堂・講堂の中間の東側に建つ、2階建ての建築物です。名称は「鼓楼」ですが、現在は鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため、「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれています。

外観は、上下階とも扉と連子窓(れんじまど)で構成され、縁と高欄が取り付けられています。
堂内の厨子には、仏舎利を収めた国宝の金亀舎利塔(きんきしゃりとう)が安置されています。

礼堂(らいどう)

鼓楼の東に位置する南北19間の細長い建物の南側8間が礼堂、北側10間が東室、その間の1間は、馬道(めどう)と呼ばれる通路になっています。

講堂を挟んだ西側にも同様の建物があり、僧房として使われていました。

礼堂は、隣の鼓楼に安置された仏舎利を礼拝するための堂で、内部に釈迦如来立像(重文)・日供舎利塔(重文)を安置しています。

礼堂 釈迦如来立像

重要文化財 正嘉2年(1258)
木造 厨子入

高さ約1.66mで、礼堂内の厨子に安置されています。縄状に結われた髪と、袈裟を通肩(つうけん)にまとった清涼寺式の釈迦像です。
像内部から百通あまりの造立に際しての結縁(けちえん)文書が見つかり、その造立の年が明らかになりました。

毎年10月21日~23日 9時~16時
場 所:礼堂

釈迦念仏会(しゃかねんぶつえ)にあわせて、鑑真大和上請来の「如来舎利三千粒(にょらいしゃりさんぜんりゅう)」を収める国宝・金亀舎利塔(きんきしゃりとう)と重要文化財・釈迦如来立像(しゃかにょらいりゅうぞう)が特別に公開されます。

鑑真和上祖廟

境内の北東の奥まった静かな場所に位置する鑑真和上の墓所。

同時期の高僧の中では唯一、1250年の永きに亘って、参拝する人が途絶えません。現在は御廟前に和上の故郷・揚州から贈られた瓊花が植えられ、初夏にその可憐な花を咲かせます。

薬草園

戒壇前にあります。現在改修中。鉢植えのハスや季節の花が植えられています。

アクセス

電車:近鉄西ノ京駅から北に徒歩10分。
お車:やまべから車で30分。
自転車;サイクリングロード沿い。やまべから薬30分。

観光地概要

季節の花 ハス 6月中旬〜7月終



鉢植え; 金堂前 本坊前 薬草園 売店・辨天堂横
地植え: 戒壇前参道 辨天堂前池 薬草園
  
カキツバタ
地植え: 戒壇前参道 辨天堂前池 薬草園