奈良観光スポットのご案内

當麻寺観光ガイド

奈良當麻寺観光ガイド|葛城市

○ 當麻寺へのアクセス

1. 電車:近鉄橿原神宮前駅から阿部野橋行き普通or準急當麻寺駅下車西に徒歩約10分 2. お車:国道165号線高田バイパスから右手に當麻寺の看板あり。

○ 當麻寺の住所・TEL

住所:奈良県葛城市當麻1263
TEL:0745-48-2001

○ 當麻寺周辺の地図

當麻寺とは

宗派

真言宗、浄土宗(曼荼羅堂のみ)

本尊

中将姫剃髪堂 十一面観音 (通称導き観音) 金堂 弥勒菩薩

住所・TEL

奈良県葛城市當麻1263
0745-48-2008

當麻寺の由来

白鳳時代に聖徳太子の弟の"麻呂子”が大阪に建てた寺を奈良天平時代に役行者が開山した二上山のふもと麻呂子山の中腹に移したといわれています。

當麻寺の歴史

白鳳時代に建立され1300年の歴史がある當麻寺は、中将姫ゆかりの寺として知られています。中将姫についてはは、歌舞伎や浄瑠璃の題材となっている有名な当麻曼荼羅の伝説?がありますが、この話については現実性に疑問の声があります。当麻曼荼羅の原本は奈良時代の末から平安時代のものですが平安時代にはその由来についての話は無く鎌倉時代に初めてヨコハギ(横佩)大納言という人物の娘の願により化人(けにん、観音菩薩の化身か)が一夜で織り上げたものであるとあり、13世紀になって初めて中将姫の名前が出るとともに話の内容も様々の脚色されたようです。研究の結果当麻曼荼羅の原本ははすの茎ではなく、絹糸だそうです。 空海は平安時代、唐より「密厳浄土」の教え、つまり、現世に浄土を実現する教えを授かり、我が国で真言宗を開きました。弘仁時代秋、お大師さまは當麻寺に参籠し、當麻曼荼羅にその密厳浄土の教えが表されていることを看破し、中之坊實弁法印に教えを授けたことから、當麻寺が真言宗を奉じるようになりました。 南北朝時代になると、曼荼羅信仰の機運に乗じて、京都知恩院が當麻寺の境内に現在の奥院を創建し、、浄土宗の教えを持ち込みました。そして當麻曼荼羅を布教材料として専修念仏の教えを広めていきました。 現在でも曼荼羅堂では真言宗、浄土宗の行が行われており、二宗兼宗と呼ばれています。

近松門左衛門や世阿弥も題材にした麻曼荼羅の伝説のあらすじについて

昔、藤原鎌足の子孫の藤原豊成には美しい姫 中将姫がいました。姫は、幼い時に実の母を亡くし継母に育てられました。中将姫はこの継母から執拗ないじめを受け、無実の罪で殺すように命じられます。ところが、姫の殺害を命じられていた藤原豊成家の従者は、極楽往生を願い一心に読経する姫の姿を見て、どうしても刀を振り下ろすことができず、姫を「ひばり山」というところに置き去りにしてきた。その後、改心した父・豊成と再会した中将姫はいったんは都に戻るものの、やがて當麻寺で出家し、ひたすら極楽往生を願うのでありました。姫がはすの茎から作ったの蓮糸を用い、一夜にして織り上げたのが「当麻曼荼羅」で、糸を井戸に浸すと、たちまち五色に染め上がったといわれています。姫が29歳の時、生身の阿弥陀仏と二十五菩薩が現れ、姫は西方極楽浄土へと旅立ってゆきました。 中将姫の伝説は当時人気が高かったようで、特に女性の信仰を集めたようです。

當麻寺の見所

1. 二上山のふもとの広大な境内:二上山は奈良盆地の日が沈む方向にある山で西方極楽浄土の入り口として昔から特別視されていた山です。その山の斜面に立てられた當麻寺は奥の院から見ると上を見上げれば二上山、下を見下ろすと畝傍山と見晴らしがよく、白鳳時代にわざわざ大阪からこの場所に寺を移築した気持ちがわかるような気がします。

2. 中将姫と導き観音: 中将姫を手引きしたのが中之坊中将姫剃髪堂にある十一面観音です。中将姫の守り本尊として女性の信仰を集め安産、健康、厄除けにご利益があります。

3. 牡丹:當麻寺の牡丹園は奈良の牡丹の有数な名所です。奥の院の庭園がが特に広くお勧めです。その他にも季節の花であふれていますが、芍薬や紅葉などもお勧めです。牡丹・芍薬の見ごろは4月末、藤、石楠花、つつじの見ごろは5月はじめ。

※【牡丹と芍薬の違い】花だけを見ると牡丹と芍薬は非常に似ており見分けが付きません。牡丹と芍薬の見分け方は以下の通りです。
a)茎の違い:芍薬は緑色(植物性)、牡丹は茶色(樹木性)
b)枝分けれの違い:芍薬は枝分かれほとんど無し、牡丹はひとつの木にたくさんの枝別れしたくさんの花が付く。

4. 当麻曼荼羅(本堂(曼荼羅堂)の厨子): 当麻曼荼羅の原本は織物で今でも當麻寺に保存されています。 阿弥陀如来の住する西方極楽浄土のありさまを描いたものです。縦横4m以上の大きな織物ですが損傷が激しく何度も補修されたり複写されたりしています。現在曼荼羅堂に展示されているのは複写の絵画で15世紀はじめのものです。

5. 中之坊庭園(香藕園): 中之坊庭園(香藕園)は竹林院、慈光院とともに大和三名園といわれてきました。極端に低い土塀は天平時代の三重塔を借景とするためです。

當麻寺写真・フォトギャラリー

東大門(仁王門)

通常仁王門は南向きですが當麻寺の場合は変則的で東に仁王門があります。また金堂は南向き、本堂は南向きと伽藍配置も変則的です。

仁王像(吽形)

他の仁王に比べるとどこと無く愛嬌があり"キューピー人形"の様にも見えます。

金堂

當麻寺金堂外観

本来は金堂が當麻寺の信仰の中心でしたが曼荼羅信仰に伴い本堂に信仰の中心が移って行きます。本尊塑造弥勒菩薩坐像は日本最古の朔像(土で作った仏像)で平清盛南都焼き討ちで建物が燃えても残っていたといういわく付きのもので白鳳時代の古い仏像です。本尊の周りの四天王像も飛鳥時代の古い仏像で髭を生やしたユニークな表情をしています。

當麻寺金堂の増長天(髭があります)

當麻寺金堂弥勒菩薩坐像(日本最古の塑像)

講堂

本堂をを向いにして金堂と向かい合って立っています。鎌倉時代の再建で、仏像も金堂のものより新しいです。二体の阿弥陀如来や、地蔵菩薩妙幢菩薩立像などの多数の仏像が安置されています。

本堂

本尊は、仏像ではなく當麻曼荼羅の絵でもともとあった奈良時代の建物を當麻曼荼羅をまつるために改築されたと考えられています。仏像は十一面観音菩薩がおられます。

當麻寺中之坊中将姫剃髪堂

中将姫が剃髪したとされる中の坊の中にあります。中将姫の守り本尊、十一面観音菩薩(導き観音)が安置されています。

中将姫誓いの石

当時當麻寺は女人禁制で中将姫は寺に入ることが許されませんでしたが、入寺されたい一心で三日間念仏を唱えられたところお経の功徳で石に足の跡ができこれにより後女人禁制が解かれたといわれています。
中央のくぼみが祈りでできた足の跡とのこと

中之坊 加持水の井戸

現在の當麻寺の場所を修験道の道場として開山した役行者が薬"陀羅尼助”を発明した際この井戸の水を使ったとか。

中之坊庭園(香藕園)

大和三名園のひとつ。鎌倉時代に起源を持ち桃山時代に完成。その後も改修され史跡と名勝の指定を受けています。
中之坊庭園西塔(三重塔)が池に移るように設計されています。

中之坊庭園茶室

中之坊客室 松室院:當麻寺のこの客室の天井には近代日本画家90人が党派を超えて絵画を奉納してあります。

東塔と西塔

手前が西塔奥が東塔。東塔と西塔の大きさが違い変則的です。 創建当時の塔が二つとも残っている寺は数少ないです。

奥ノ院

當麻寺奥ノ院は、京都の浄土宗知恩院の奥の院として建てられ本尊として法然像がおられます。

奥ノ院阿弥陀堂
境内からみる二上山

二上山がすぐ近くに見えます。

當麻寺季節の花

西南院と西塔と芍薬の花

芍薬と牡丹の見ごろは、5月の初めです。寒牡丹の見ごろは1月の中旬です。

石楠花は5月初旬に見頃となります。

奥ノ院庭園の牡丹

奥ノ院牡丹園の見ごろは4月末~5月初めです。

西南院の石楠花と芍薬

當麻寺の近隣スポット

当麻蹴速の首塚と相撲館

当麻蹴速首塚

相撲館

当麻蹴速とは、日本で初めて相撲を行った人物として有名です。垂仁天皇の元野見宿祢相手に負けて殺されてしまいます。首塚の隣に相撲の歴史を展示した相撲館があります。

寒牡丹と石光寺

石光寺:日本最古の弥勒石仏のある寺です。

小ささなお寺ですが寒牡丹は有名で1月になると多くの観光客が詰めかけます。