奈良観光スポットのご案内

北山の辺の道古墳・ハイキングマップ

北山の辺の道について

山の辺の道(南ルート石上神宮~大神神社)がマスコミや観光ガイドに注目されるにつれて、北山の辺の道もハイキングされる方がちらほら見られるようになりました。しかしハイキングコースとなんとか様になってきたのはここ数年のことです。今は何とか要所要所にコース案内がありますが、山の辺の道から離れた観光スポットへの案内表示がなかったり、夏にはやぶが深かったり、ため池の横のあぜ道は平日フェンスが閉じられていたりと南山の辺の道と同じ気持ちで行くと少し驚くかもしれません。北山の辺の道は、古い歴史スポットを探検に行くぐらいの気持ちで行くとよいかもしれません。

北山の辺の道奈良ハイキングマップ

北山の辺の道マップ
石上神宮 豊田山城跡 花菖蒲池 石上大塚古墳 ウワナリ塚古墳 白川ダム 古墳公園 櫟本高塚公園 東大寺山古墳 和邇下神社古墳 柿本寺跡 赤土山古墳 東大寺山古墳石室移築地 弘仁寺 白毫寺 在原寺跡 白川グラウンド

お勧め北山の辺の道 古墳・観光スポット写真

◆観光・古墳スポット◆

○ 石上神宮(北山の辺の道への入り口)

詳細案内は、石上神宮をご覧ください。北山の辺の道と(南)山の辺の道をつなぐ拠点です。境内から北と南山の辺の道が出ています。当たり前のことですが境内の中は自転車を降りて進んでください。鳥居をまっすぐ進み拝殿を通り過ぎ、さらにまっすぐ進むと北山の辺の道に入ります。布留の高橋を過ぎると舗装道の突当りに出ます。ここを左折するとすぐに右折する北山の辺の道の案内がありますので見落とさないように注意してください。

石上神宮回廊

北山の辺の道へは拝殿(左)に入らず直進します。

布留の高橋と梅の花

布留の高橋と梅の花

○ 豊日神社

舗装道を通っても北山の野辺の道に合流できますが、ハイキングコースの雰囲気を味わうならコース通りに歩きましょう。舗装道から右折する北山の辺の道の道の標識は下の写真です。石上神宮からだと案内表示がわかりにくいので注意です。あぜ道を進むとすぐに豊日神社が見えます。豊日神社は、訪れる人も少ない小さな神社です。菅原道真をまつっている神社です。

北山の辺の道入り口

北山の辺の道入り口

豊日神社鳥居

豊日神社鳥居

豊日神社本殿

豊日神社本殿

○ 豊田山城跡

さらに案内表示に従って歩くと、道はますます細く夏は雑草だらけになります。そして見える案内表示がこちら錆びだらけになって肉眼ではほとんど判別不可能ですが画像ソフトでようやく”豊田山城跡”と読めます。案内表示の方向を見るとこの様子です城跡の痕跡があるのかないのか雑草とやぶしか見えません。

豊田山城跡案内版

豊田山城跡案内版

豊田山城跡

豊田山城跡

○ 県道51号から菖蒲畑

未舗装道路を進むと舗装道(県道51号)に出ます。県道51号を100mも進むと左手に、北山の辺の道の案内表示があります。ここを左手に進みます。しばらく歩くときれいな菖蒲畑が見えます。

県道51号線から菖蒲畑

北山の辺の道へは、県道51号線の分岐を左に進みます。

北山の辺の道花菖蒲畑

北山の辺の道の花菖蒲は6月が見頃です。地元の高校生が栽培しているようです。

○ 石上大塚古墳

少し進むとやぶが深くなりますが案内表示を信じてそのまま進みます。上り坂になっています。枯れた笹の葉の道は足元が滑りやすいので注意しながら進んでください。坂道の中腹左手に茶色の”石上大塚古墳”の看板があります。看板に従い獣道?を100mほど進むと石上大塚古墳の石室を見学できます。

石上大塚古墳案内板

石上大塚古墳案内板:進行方向左手にあります。道から山の中を30mほど歩いたところにあります。

石上大塚古墳横穴式石室
○ 石上大塚古墳石室

石上大塚古墳は全長107m高さ14mの前方後円墳です。後円部に崩れた片袖式横穴式石室があります。全長6.5mの玄室です。6世紀後半の古墳と考えられています。

○ ウワナリ塚古墳

竹藪の坂道を登りきると突き当りとなり案内表示があります。左が北山の辺の道で右手に”ウワナリ塚古墳”の表示があります。右手をビニールハウス沿いに進みます。(注意!)!夏場この道は本当に草ぼうぼうになりますのでできれば冬場に行きたいところです。(夏場の写真参照)200mほど歩くと左手に金属の小さな扉が見えてきますのでそこから山手に上ったところがウワナリ塚古墳です。ウワナリ塚古墳は全長128mの前方後円墳です。6世紀中旬の古墳で石上大塚古墳に先行する古墳と考えられています。前方部は果物畑で後円部に南向きの横穴式石室を見ることができます。入り口は狭いですが中は広くなっています。

ウワナリ塚案内板

北山の辺の道とウワナリ塚古墳の案内板:右側に進みます。

夏場のウワナリ塚古墳への道

夏場のウワナリ塚古墳への道

ウワナリ塚古墳入り口のフェンス

ウワナリ塚古墳入り口の目印のフェンス

ウワナリ塚古墳入り口

ウワナリ塚古墳横穴式石室の入り口

ウワナリ塚古墳横穴式石室玄室

ウワナリ塚古墳玄室

白川ダム(白川ため池)

ウワナリ塚古墳から北山の辺の道本ルートに戻ります。ここからしばらく舗装道路となり不規則に道を曲がりますが案内表示がありますので見落とさないようように進みます。名阪国道のガード下をくぐり200mほど歩くと白河ダム(白河ため池)白川グラウンドに出ます。このあたりは白川ダムも含め多くの石室を含む古墳のあるところです。白川ダムはダム建設の時に出土した石室がダム下の、古墳公園に復元展示されています。場所的には、物部氏~和邇氏の勢力範囲でしょう。ここからはしばらく北山の辺の道の本ルートを離れ、近辺古墳群や石室群の紹介をします。

北山の辺の道名阪国道

北山の辺の道~白川ため池(ガード入り口にチョークで”北山の辺の道”と書いてあります。)

白川ため池

白川ため池(白川ダム)

白川グラウンド

白川グラウンド(野球場、ラグビー場) 天理大学や合宿の生徒が使用します。

○ 古墳公園(小倉谷石室移築地)

白川ため池沿いの道から長い階段を下って行った処にあります。しかしこちら夏場は草ぼうぼう、そこに公園があるとわかっていても降りていくのもためらわれるほどです。”古墳公園”の案内の石碑が草に埋もれるのはなんとか我慢しても、復元石室が草で埋もれて見えない状態では話になりません。”公園”と謳うからにはもう少し何とかしてもらいたいと思うのは私だけでしょうか?どこが管理しているのかはわかりませんが同じ奈良県住民としては悲しい限りです。

白川古墳公園石碑

白川古墳公園石碑

小倉谷石室移築地

小倉谷石室移築地

○ 櫟本高塚公園

白河ため池から坂道を下り右手に坂道を登ってゆくのが北山の辺の道のルートですが、古墳公園のついてにこの付近の古墳群の紹介をします。白河ダムの事務所から坂道を下ると三叉路に出ますがこのまま左手に進んでゆきます。緩やかな坂道を下ると急な上り坂となりますがここで細い脇道を右手に下ってゆきます。左手の高台に櫟本高塚公園があります。櫟本高塚公園は竪穴式住居や特殊な建物跡?、祭祀用土器がたくさん出土したところで、この高台で和爾氏が祭祀を行ったと考えられています。

櫟本高塚公園

櫟本高塚公園:和爾氏の本拠地

○ 東大寺山古墳

東大寺山古墳は、全長140mの前方後円墳です。墳丘には葺石があり朝顔型埴輪などが出土しています。この古墳が有名なのはで掘られた長さ110cmの銘刀が出土したことです。金象嵌で彫られた24文字には、中国の後漢の年代である”中平”の文字とよく鍛えられた刀であるから外下界では災いを遠ざけると書かれています。”中平 ”は2世紀の年代で東大寺山古墳は、4~5世紀の古墳であることから、どのような経緯で東大寺山古墳にこの銘刀が埋葬されたか不明ですが、この辺一帯が”和爾氏”の本拠地であったことから後漢と和爾氏の間になんらかのこうえきがあったのでしょう。 この銘刀”金象嵌銘花形飾環頭大刀”は東京国立博物館に保管されています。                       

東大寺山古墳は、天理教城法教会の敷地内か、赤土山古墳裏の駐車場から入ることができますが近寄れば近寄るほど古墳の形がわからなくなるのでこの辺から眺める程度にしておいた方が無難でしょう。

東大寺山古墳

東大寺山古墳(天理教城法詰所側より)

○ 和邇下神社古墳

櫟本高塚公園より国道169号に出て200mほど南に歩くと赤い鳥居が見えてきますこの鳥居の中が和邇下神社古墳です。この神社の参道は生活道路にもなっており鳥居の中にも住宅があったりしてどこまでが境内かよくわかりません。

柿本寺の裏手に石段がありここを登って行ったところに、和邇下神社があります。前方後円墳の墳丘上に作られた神社です。素盞鳴命をまつっているので境内には牛の像があります。もともとは治道社と呼ばれていたようで燈籠も”治道社”と書かれています。明治時代に今の名前になったようです。

和邇下神社古墳は全長107mの前方後円墳で前方部が北の方を向いており後円部に和邇下神社の本殿があります。4~5世紀の古墳と考えられています。この古墳の埋葬施設については、神社があるため調査はされていないとのことです。

和邇下神社鳥居

和邇下神社鳥居

和邇下神社拝殿

和邇下神社拝殿

○ 影姫歌碑の内容について

まず鳥居をくぐってすぐ左に、物部麁鹿火(ものべのあらかび)の娘の"影媛"のことを詠った日本書紀の”影姫あわれ”の長歌の歌碑があります。この長歌には、北山の辺の道の地名がたくさん入っていてかつてのルートを考える上での参考になるでしょう。この歌は、武烈天皇が平群鮪(しび)を暗殺した”影姫伝説”詠ったものです。

”石の上 布留を過ぎて 薦枕(こもまくら) 高橋過ぎ ものきわに 大宅(おおやけ)過ぎ 春日(はるひ) 春日を過ぎ 妻隠る 小佐保を過ぎ 玉笥には 飯さへ盛り 玉?(たまもひ)に 水さへ盛り 泣きそぼち行くも 影媛あわれ”

と書かれています。影姫伝説の内容は下の影姫伝説をご参照ください。”こもまくら”は旅用のの簡易枕、”たまもい”はまるいお椀”だそうです。愛する鮪の弔うため、北山の辺の道を石上神宮あたりから平城山(現在もならやまという名前があります。聖武天皇陵のあるあたり)まで水とご飯を供えるために泣きそぼちながら行ったという意味でしょうか。地名としては、石上、布留、(布留の)高橋、は石上神宮付近、大宅は白毫寺付近、春日は春日大社付近、小佐保は平城山付近から佐保川が流れているのでその付近と考えられます。

影姫伝説について

日本書紀によると、後の武烈天皇は、物部麁鹿火(ものべのあらかび)の娘の影媛を妻に召そうとして、海柘榴市の辻の歌垣で落ちあう約束をしたが、すでに影姫は真鳥大臣の息子の平群鮪(へぐりのしび)と相愛の中であったので鮪は二人の邪魔をするめために歌垣に割って入って、後の武烈天皇と歌で対決しました。影姫と鮪がすでに通じていたことを知って怒った平城山(ならやま)で鮪を殺してしまいました。鮪を追って影姫が平城山までいったと言われています。

影姫あわれの石碑

影姫あわれの石碑

○ 柿本人麻呂や柿本寺跡について

さらに進むと右手に古い石碑で”歌塚”と達筆で書かれています。これは柿本人麻呂のお墓で遺骨が埋められているとも、髪が埋められてているとも言わています。この石碑は江戸時代のものですが”歌塚”自体はもっと前からあったようです。この周りには少しコミカルな柿本人麻呂像があります。これは”柿本”氏が和爾氏の末裔で”柿本寺(しほんじ)”が和邇下神社近くにあるからです。柿本人麻呂像からさらに進むと薄暗い林の中に、”柿本寺(しほんじ)跡”と手書きの看板があります。柿本寺は奈良時代には存在した記録がありますが江戸時代には場所が移動しており明治時代にに廃寺となりました。その時の資料は櫟本駅近くの”極楽寺”が受け継いでいるようです。(詳細はこちら 柿本寺の奈良リビング記事 )柿本宮曼荼羅(当時の和邇下神社や柿本寺が描かれている)は、奈良市学園前の大和文華館が所蔵しています。柿本人麻呂関係の調べものをされている方 奈良には柿本人麻呂をまつっている神社が橿原市にもあります。(詳細はこちら、"マイタウン奈良の人麻呂神社の記事”)

歌塚

歌塚江戸時代からのもの

柿本人麻呂像

柿本人麻呂像

柿本寺跡

柿本寺跡

柿本寺古墳石室天井石

柿本寺跡の古墳の石室の天井石 (和邇下神社古墳のもの?)

○ 在原寺跡(在原神社)

少し道を戻りますので時間に余裕がある場合はお立ち寄りください。和邇下神社から国道169号を少し南下し西名阪自動車道の高架下を少し西側に進むと左手にあります。国道在原業平ゆかりのお寺です。在原業平は、歌人として有名で伊勢物語の主人公、プレイボーイとして知られています。業平が主人公の謡曲”井筒”もまた有名ですがこの井筒の井戸がこの在原寺跡の井戸とされています。現在は神社の祠はありますがお寺はなくなっています。石碑には裏表に神社とお寺両方の名前がが刻まれています。

在原寺跡石碑

在原寺跡の石碑

在原神社拝殿

在原神社

井筒の井戸

謡曲”井筒”の舞台の井戸

○ 赤土山古墳

案内表示に従って東の方角に進みます。住宅街の公園の一角に赤土山古墳があります。この古墳は2010年にきれいに整備され、発掘した埴輪のレプリカまでおかれており説明も充実しているので見ごたえのあるスポットとなっています。家型埴輪が出土したことが特徴です。古墳造成直後に起こった地震のため、割れずに残った埴輪が多いのも特徴です。

赤土山古墳

赤土山古墳墳丘

赤土山古墳埴輪

赤土山古墳の家形埴輪と、鶏の首がついた円筒埴輪

○ 東大寺山古墳移設石室

場所はシャープ天理工場の正門前にあります。赤土山古墳からはシャープ社宅の間をすすんでゆきます。シャープの工場建設時に出土した石室を展示しています。4基程度の石室があります。

シャープ天理工場付近の古墳マップ

シャープ天理工場付近の古墳マップ(シャープ正門前にあります)

東大寺山古墳石室移築地

東大寺山古墳石室移築地

○ 弘仁寺

場所はシャープ天理工場の正門前にあります。赤土山古墳からはシャープ社宅の間をすすんでゆきます。シャープの工場建設時に出土した石室を展示しています。4基程度の石室があります。

弘仁寺本堂

弘仁寺本堂

不動明王閼伽井の井戸

正暦寺

弘仁寺から坂道を下ってゆくと5本の道の交わった交差点に出ます。正暦寺は北山の辺の道から少し離れ2kmほど坂道を上ったところにあります。古来より錦の里と呼ばれるほどの紅葉の名所ですが交通の便が悪いせいか平日などは比較的すいています。清酒発祥の地の石碑が立っています。”福寿院”で正暦寺の古来からの製法で作った清酒を販売しているようです。

正暦寺本堂紅葉

正暦寺本堂紅葉

正暦寺清酒発祥の地

正暦寺は清酒発祥の地です。

菩提山川の紅葉

菩提山川紅葉

福寿院

福寿院:仏像の展示や清酒の販売はこちらで行っています。

○ 正暦寺の仏像:

いずれも福寿院にあります。本尊薬師如来倚像は、4月と11月の期間限定公開です。代々の仏像が胡坐をかいているか立っているのに対し、こちらの仏像は椅子に腰かけて座っているような姿勢です。また片足ずつの足先にハスの台座が草履ののようにくっついているというユニークな形をしています。孔雀明王像は常時拝観できます。孔雀の背中に乗ったユニークな仏像です。

正暦寺薬師如来

正暦寺薬師如来倚像(イラスト)

正暦寺孔雀明王

正暦寺孔雀明王

○ 白毫寺

ハイキングコースとしての北山の辺の道の終点となります。ここからはコース案内はありません。実際影姫伝説のルートを北山の辺の道とするなら、平城山(現在の聖武天皇陵や旧ドリームランド跡地)までとなるでしょう。白毫寺の詳細案内はこちら 白毫寺詳細

白毫寺萩

白毫寺萩