奈良観光スポットのご案内

石上神宮観光案内

石上神宮へのアクセス

住所:奈良県天理市布留町384

山の辺の道マップ参照。ビジネス旅館やまべから南東に約1.5km。バスはほとんと通っていないので、徒歩、自転車、お車でのアクセスとなります。

石上神宮とは

○ 石上神宮の歴史・由来

日本書紀にでで来る、”神宮”と呼ばれる神社は、”伊勢神宮”と石上神宮”の2つだけです。それだけ古くて格式の高い神社です。饒速日命の子孫の物部氏の氏神を祀る神社でご神体として、刀(布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)、天十握剣(あめのとつかのつるぎ)に宿る神様と十種神宝(とくさのかんだから)に宿る神様を祀る特別な神社です。

石上神宮の主祭神

○ 布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)

布都御魂剣という刀に宿る神様。布都御魂剣は、”起死回生の刀”ともいうべき刀です。神武天皇が九州から東の美しい国(奈良)に向かう途中、熊野で賊の毒にあたりほぼ壊滅の状態からこの布都御魂剣の力によって神武天皇の一行がよみがえり賊もタ退散したという不思議な力を持った刀です。なおこの刀は実在の刀で明治時代に拝殿の向こうの”禁足地”の調査を行ったところ、布都御魂剣が実在の神剣であることが確認されました。

この神剣の発見後拝殿の向こうに本殿が建てられ、神剣が見つかった場所には大きな石が置かれているということです。

○ 布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)

十種神宝に宿る神様。十種神宝は十種類の神宝という意味です。神宝の名前は瀛津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、八握剣(やつかのつるぎ)、生玉(いくたま)、足玉(たるたま)、死返玉(まかるがへしのたま)、道返玉(ちがへしのたま)、蛇比礼(へみのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、品物比礼(くさぐさのもののひれ)の十種です。十種神宝は、物部氏の祖神の饒速日命の神様が多くの供を引き連れて地上に降り立つ際に十種神宝を持ってきたといわれています。

この十種神宝は、死者をもよみがえらせる呪力があるとされており、ひふみ祓詞とともに唱えられる。11月22日に行われる現在の鎮魂祭の起源となっています。

鎮魂祭

鎮魂祭は11月22日の17:00~19:00まで行われるおこぞかな儀式です。一般の人も参加できますが事前の申し込みが必要です。

十種神宝は現在は石上神宮にはなく紙に書いたものを使ているとのことです。実物のいくつかが他の神社にあるという話や、三種の神器を表すという説などがあり本当のところははっきりしないようです。

 

○ 布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)

天十握剣(あめのとつかのつるぎ)に宿る神様。天十握剣とはスサノオの命が、出雲の国でヤマタノオロチを退治したときに使った剣です。また紛らわしいですがヤマタノオロチを退治したときにヤマタノオロチの尾からでできたのが三種の神器”草薙の剣”です。天十握剣は実在し石上神宮本殿に祀られているとのことです。

石上神宮のスポット

○ 鳥居

桜並木から石上神宮の石碑の目印を左に入り坂道を登ったところにあります。

石上神宮鳥居
○ 柿本人麻呂歌碑

石上神宮鳥居の左手にあります。 ” をとめらが 袖布留山の瑞垣の 久しき時ゆ 思ひきわれは” (直訳)布留山のふもとに石上神宮の瑞垣ができたころから久しい間私はあなたのことを思っています。 (解説)” をとめらが 袖”までが石上神宮横にある”布留山”にかかる枕詞とされています。”袖ふる”というのは意中の人を呼び寄せるという呪術的な意味があります。また石上神宮の神官は代々物部氏ではなく天理市櫟本付近の豪族"和邇氏”春日氏系の市井氏がなっていましたが、柿本氏も同じ和邇氏から派生した一族で石上神宮が行ってきた呪術的な要素を想いながら書かれた句と考えられます。

柿本人麻呂歌碑
○ 鶏

境内には、鶏が放し飼いにされています。鶏というと飛ばない鳥のイメージがありますが石上神宮の鶏は結構高い木の枝に止まっているのを見かけます。鶏は暁を告げる鳥として”神の使い”として神聖視されています。

石上神宮境内鶏

境内社務所付近のの鶏

木の枝の上でくつろぐ鶏

木の上でくつろぐ鶏

○ 祓所

儀式やお祭りの際に身を清める場所として使われます。普段人は立ち入ることはできません。鶏は神の使いなので関係ないのかもしれません。

祓所と鶏

祓所と鶏

○ 社務所

祈祷以外の受付をする場所です。祈祷の受付は拝殿横でします。

社務所

社務所

○ 回廊

祓所を超えると左側に見えてきます。

石上神宮回廊

石上神宮回廊

○ 楼門

鎌倉時代にできました。以前は鐘をつるした鐘楼門でしたが”神仏分離令”により仏教と関係のある鐘は売却しました。

楼門

楼門

○ 拝殿

鎌倉時代の建物。石上神宮を深く信仰した白河天皇が鎮魂祭のために宮中の建物を寄進しました。神社の拝殿としてはもっとも古い建物です。

拝殿

石上神宮拝殿

○ 七支刀

実物は神庫に保管されほとんど公開されることはありません。物部氏の武器庫としていわれる石上神宮に六叉の鉾(ろくさのほこ)として保管されてきた鉄の刀でよくみるとした方が折れているのがわかります。刀の表面には61文字金象嵌銘文があり七支刀の由来が示されています。これによると秦和四年(369年)に百済から倭に送られたと解釈されています。また日本書紀の神功皇后52年(372年)に百済と倭国の同盟を記念して神功皇后へ”七子鏡”一枚とともに”七枝刀”一振りが献上されたとの記述があり年代がほぼ重なることからも百済から日本に送られたものと考えられています。七支刀はその形状から武器用としてよりも祭祀用ものと考えられています。物部氏は天皇と物部氏の武器庫として知られていますが祭祀をつかさどる部族でもありました。写真が拝殿向側にあります。

七支刀写真

七支刀の写真

○ 出雲建雄神社拝殿

拝殿向かい南側の階段を上った小高い丘にあります。山の辺の道沿い内山永久寺(天理市杣之内町にあった廃寺)から1914年に移築したもの。正安2年(1300年)頃の建立。建物の中央部分を土間の通路とした「割拝殿」と呼ばれる形式。 祭神出雲建雄は草薙の剣に宿る神で石上神宮の由緒には、”天武天皇朱鳥元年布留川上日の谷に瑞雲がたちのぼり、神剣が光を放って現れた。”とあります。(2014念8月8日現在改修工事中。)

出雲武雄神社

出雲武雄神社拝殿

○ 天神社

出雲建雄神社の向かいにあります。高皇産霊神(たかむずびのかみ)、高皇産霊神(かみむすびのかみ)を祭神とする。

天神社

天神社

○ 七座社

天神社となり北向きにあります。祭神は生産霊神、足産霊神、魂留産霊神、大宮能売神、御膳代神、辞代主神、大直日神を祭神とする。天神社とともに石上神宮の鎮魂祭に関係のある神を祭っていると石上神宮の由緒に書かれいます。

七座社

七座社

○ 猿田彦神社

ニニギノミコトの天孫降臨を先導した猿田彦をまつる神社。明維持時代に現在の場所に移されたとのこと。

猿田彦神社

猿田彦神社

○ 鏡池

山の辺の道に向かう入り口にあります。この池にすむ"ワタカ”は別名”馬魚”ともよばれています。由来は次のように言われいます。★石上神宮鏡池馬魚の伝説:南北朝時代後醍醐天皇が吉野に逃れるとき、馬がいな鳴いて敵に見つかるのを怖れて首を切り落としました。それが馬魚になった。といわれています。馬魚は天然記念物に指定されています。

鏡池

鏡池