奈良観光スポットのご案内

山の辺の道古墳サイクリングマップ

PDFファイルはこちら⇒ 山の辺の道(龍王山~古墳)サイクリングガイド

山の辺の道(龍王山・古墳サイクリング)
天理参考館 大国見山 大親寺 桃尾瀧 石上神社 天理ダム 石上神宮 龍王山 笠山三宝荒神社 龍王山古墳群 目印の石仏 長岳寺奥ノ院 笠そば 檜原神社 穴師兵主神社 閼伽井の池 相撲神社 珠城山古墳群 巻野石塚古墳 纒向石塚古墳 狐塚古墳 茅原大墳古墳 慶運寺 ホケノ山古墳 東田大塚古墳 桜井埋蔵文化財センタ 纒向矢塚古墳 纒向勝山古墳 天神山古墳 景行天皇陵 崇神天皇陵 黒塚古墳 矢矧塚古墳 長岳寺 中山大塚古墳 箸墓古墳 平塚古墳 フサギ塚古墳 大和神社 馬口山古墳 念仏寺 下池山古墳 粟塚古墳 マバカ古墳 ノムギ古墳 燈籠山古墳 西殿塚古墳 東殿塚古墳 西山塚古墳 波多古塚古墳 ヒエ塚古墳 竹ノ内環濠集落 小墓古墳 西乗鞍古墳 東乗鞍古墳 西山古墳 塚穴山古墳 峯塚古墳 天理観光農園 内山永久寺

龍王山~山辺の道サイクリング・古墳マップについて

最近サイクリングで山の辺の道を回られる方が増えてきました。山の辺の道はゆっくり歩いて回られる方には1日コースとしてちょうど良いのですが、サイクリングで回ると若い方や健脚者の方は数時間で回ってしまいます。今回はロードバイク、クロスバイク等でサイクリングも楽しみたい方、一度山辺の道をハイキングしてちょっと別のポイントも回りたい方に古墳や隠れスポット等を写真を中心にガイドいたします。なお山の辺の道ハイキングコースでご案内したスポットについては案内を割愛しておりますので必要に応じてご参照ください。

お勧め龍王山から山の辺の道 天理古墳・観光スポット写真

◆天理観光・古墳スポット◆

○ 石上神宮

詳細案内は、石上神宮をご覧ください。北山の辺の道と(南)山の辺の道をつなぐ拠点です。境内から北と南山の辺の道が出ています。当たり前のことですが境内の中は自転車を降りて進んでください。現在は禁足地側が拝殿となっていますが、楼門の両側に拝殿、摂社があり位置関係が変則的です。当初は斎宮があったと伝えられる"布留山”側が信仰の対象になっていたという説や1km先桃尾瀧横の石上神社(別名石上元社)が信仰の対象になっていたという説も。天皇や物部氏の武器庫として信仰の対象が移ってきた可能性もあります。

石上神宮鳥居

石上神宮入り口 (ここで自転車を降りる)

南山の辺の道入り口

南山の辺の道入り口(矢印の方向池を右手にあります。)

北山の辺の道入り口

北山の辺の道・龍王山方面の入り口(拝殿を通り過ぎて進みます。)

山の辺の道分岐点

北山の辺の道へとの分岐点(左が北山の辺の道、右が龍王山方面) 右手に進みます。

北山の辺の道

北山の辺の道

国見山

桃尾瀧・龍王山への道(国見山が右手前、左後方が高峰山)この道を道なりに進みます。

○ 石上神社

細い道をしばらく行くと国道25号の広い道に合流します。合流して急な坂を数100m左手に桃尾瀧の石碑があります。石碑のある道を登ってゆくと左手に石上神社があります。石上神社は境内全体が苔むしており訪れる人も少ないひっそりした神社です。

石上神社拝殿

石上神社本殿

○ 桃尾瀧

さらに50mほど先に桃尾瀧があります。桃尾の瀧は空海が修行したり後鳥羽上皇の歌が残っていたりかつては多くの人が訪れたと思われますがこちらも訪れるひとはまばらです。阿弥陀信仰の拠点となったため周囲には多くの石碑・石仏があります。瀧自体は大規模なものではありませんが春日断層最大の瀧ということです。滝つぼがほとんどないのですぐ近くまで近寄れます。マイナスイオンが充満しています。

桃尾瀧

桃尾瀧

○ 大親寺

桃尾の瀧から急な坂を上がったところにあります。

石上神社境内

大親寺境内

山の辺の道分岐点

石仏

○ 大国見山

さらに上に上ると大親寺、国見山に登れます。こちらには八つの磐坐があります。

大国見山磐座

桃尾瀧

○ 天理ダム

桃尾瀧から国道25号線をに戻り10%程度の坂を上りきったところに天理ダムがあります。天理ダムはかくれた桜の名所でソメイヨシノ以外にも何種類かの桜が順番に咲いてゆきます。河川敷と山手川に公園があり桜のシーズンには地元の人でにぎわいます。

天理ダム
○ 龍王山山頂・北城跡

天理ダムを右折し川沿いの道を進みます。車もめったに通らず、信号もまったくないので少し上り坂ですが快適に進めます。ところどころに屋根付の休憩所があります。道路左手の川が見えなくなるあたりで"龍王山”の標識があります。未舗装の広い道を100mほど進むとまた舗装された道に出ます。 数100mで"馬池””龍王山北城跡”の標識がありほどなくトイレがある広場に出ます。龍王山山頂はここに自転車を置いて約100mです。龍王山南城のあった山頂は標高585mほぼ360度を見渡せる絶景ポイントです。天気の良い日は明石大橋、京都タワーも見えるそうです。この日は大阪の京橋ツイン21まで見えました。

龍王山山頂入口

龍王山山城石碑

龍王山山頂

龍王山山頂

龍王山山城地図

龍王山案内板

龍王山からの眺め二上山とtwin21

龍王山から見る二上山とtwin21

龍王山から見る大和三山

龍王山から見る眺め(箸墓古墳と大和三山)

○ 龍王山古墳群

龍王山山頂からふもとまでは階段や岩等もあるので通行は控えた方がよさそうです。マウンティンバイクも急な岩場があるので相当な注意が必要です。ロードバイクトイレのある場所から1km近く登山道を歩いて下ると、なだらかな林道に出ます。途中長岳寺奥の院の別れ道を過ぎ、登山道の脇に石仏?が見えたら龍王山古墳群密集地に到着です。それまでにも道脇に古墳がありますが、このあたりが一番密集しており登山道からも近く観察しやすいでしょう。登山道と谷の間のここそこに小さな古墳が集まっています。全部で1000以上あるといわれる横穴式石室が固まった古墳群の数は日本最大級です。横穴式石室のある古墳群は奈良でも場所が限られており、平城京の北、斑鳩、明日香の西のみで見られるものだそうです。

龍王山古墳群密集地の目印の石仏

龍王山古墳群

龍王山古墳群横穴式石室1

龍王山古墳郡標準的なもの

龍王山古墳群(標準的なもの)

龍王山古墳埋もれかけのもの

龍王山古墳群(埋もれかけのもの)

○ 長岳寺奥ノ院

龍王山を下山中景行天皇陵と長岳寺方面に分かれる分岐があります。景行天皇陵方面に進むと、龍王山興奮群がたくさんあります。長岳寺方面に降りると登山道わき左手に不動明王の石造がおられます。この場所が長岳寺奥ノ院のあった場所です。

長岳寺奥ノ院不動明王
○ 笠山三宝荒神

龍王山古墳群から自転車をとめていたところに戻り、舗装道を道なりに進むと集落を通り広い車道に出ます。ここから程なく笠山三宝荒神の車用参道が右手にあります。(コンクリートの鳥居)。かなりの急坂です。さらに100mほど先に歩行者用の参道があります。この神社は、かまどの神様である。三宝荒神を祭った神社ということになっていますが、拝殿の装飾を見るといたるところに龍のモチーフが彫刻されており龍神と関係が深いと思われます。この神社のすぐ下に閼伽井の池という龍神を祭った池があります。

笠山三宝荒神は遺伝

笠山三宝荒神拝殿

笠山三宝荒神は遺伝

笠山三宝荒神入り口

笠山三宝荒神は遺伝

笠山三宝荒神拝殿

○ 閼伽井の池

空海が、高野山を立てる際にここで身を清めたといわれており、清めの池とし知られています。仏教の神様である”不動明王”と白瀧社、黒瀧社、弁財天などの色んな神様が祭られています。

笠山三宝荒神は遺伝

阿加井の池

笠山三宝荒神は遺伝

祭神(弁財天と白瀧明神黒瀧明神の祠があります。)

笠山三宝荒神は遺伝

閼伽井池中央には、不動明王の仏像がおられます。

○ 笠そばの名所 笠そば処

車道用の参拝道駐車場向かいに、笠そばを食べれるお食事処があります。数少ないお食事処です。お食事処の反対側(谷側)の窓にそば畑が広がっています。見ごろは9月中旬です。

笠山三宝荒神は遺伝

笠そば処:地元ののそばを味わえます。

○ 纏向日代宮石碑

景行天皇のときにここに都があったとされています。

纏向日代宮石碑

纏向日代宮石碑

相撲神社

○ 相撲神社とは:

相撲発祥の地とされています。 日本書紀によると、崇神天皇の時代、當麻邑に當麻蹶速(たいまのけはや)という力自慢が、自分より強い人がいるなら力比べをしたいと言っていました。天皇は出雲の国から野見宿禰(のみのすくね)を呼び寄せて、我が国初の天覧相撲を相撲神社で行いました。野見宿禰は當麻蹶速のあばら骨を踏み砕き、腰を踏みくじいて殺してしまいました。天皇は當麻蹶速の土地を没収して野見宿禰に与えました。野見宿禰は土師氏から後の菅原氏、橘氏の祖先です。 現在は草がぼうぼうに生えて、小さな拝殿があるのみです。敷地中央に正方形の形に4本の木が植えられていますがこれが土俵の位置を表しているのでしょうか?

相撲神社鳥居

相撲神社鳥居

相撲神社再現土俵

相撲神社再現土俵

相撲神社境内

相撲神社境内

穴師坐兵主神社謎の多い神社

○ 穴師坐兵主神社とは:

式内社で由緒ある神社ですが山の辺の道から少し外れているせいか、訪れる人はほとんどありません。元々、弓月岳に上社の”穴師坐兵主神社”と下社の”穴師大兵主神社”があったが上社の”穴師坐兵主神社”が焼失したので現在の下社の位置に”穴師坐兵主神社”として祭られています。とにかく謎の多い神社です。(キーワードは"武術”"中国”"鉄”),まず祭神も色々な説があってはっきりしません。弓月岳も近くにある山(穴師山、巻向山、竜王山)で説が分かれています。兵主神社は全国にあり、”兵主神”を祭っています。兵主神とは漢の高祖が”蚩尤:シユウ”を祀って勝利を祈った事に由来し秦の始皇帝が秦山に祭った神のひとつで武術に優れた神です。中国の「史記」には鎧で武装した牛のの姿と記述されているようです。また”蚩尤:シユウ”は頭の真ん中に角があったとか、普通の食事食べず鉄石を食べたとか色々な伝説がある謎の多い人物です。また”穴師”という言葉も”あらし”なまった風をあらわすとか”砂鉄”を掘るための穴とか言われています。歴史の苦手な方:京極夏彦氏の著書、”塗仏の宴・宴の支度”お勧めです。

穴師坐兵主神社拝殿

穴師坐兵主神社拝殿

穴師坐兵主神社神木

穴師坐兵主神社神木

○ 珠城山古墳

山の辺の道ハイキングコースで案内しているので写真のみの紹介です。

珠城山古墳群

珠城山古墳群>詳細

○ 崇神天皇陵
崇神天皇陵から大和三山

崇神天皇陵から>詳細

○ 景行天皇陵
景行天皇陵

景行天皇陵>詳細

○ 巻野内石塚古墳

以前は円墳と考えられていましたが後の測量で全長60mの纒向型前方後円墳であることが判明しました。葺石の石材が見つかっており、同じく近くで葺石のあるホケノ山古墳と同時期に造られたと考えられています。

巻野内石塚古墳
○ 纒向石塚古墳

纒向小学校の隣にあります。近くの卑弥呼の墓といわれている箸墓古墳と同年代の古い古墳。全長96mの前方後円墳。第二次世界大戦で砲台として使用されたため削られ現在は後円部のみが残っています。3世紀初めから中ごろの古墳と考えられ、鶏型木製品や弧文円板などの特殊な木製品が見つかっています。

纒向石塚古墳
○ 纒向勝山古墳

纒向小学校の横の道を西に進むと北側に見える池のところにあります。全長115mの前方後円墳。箸墓古墳に先行する古墳の可能性があります。団扇や舟形木製品など祭祀関係の木製品が出土しています。

纒向勝山古墳
○ 纒向矢塚古墳

纒向勝山古墳からさらに西に進むと見えてきます。全長96mの前方後円墳。現在前方部はほとんどわからなっくなっています。3世紀中ごろの土器群がまとまって出土しました。

纒向矢塚古墳
○ 東田大塚古墳

纒向矢塚古墳から南に進むと田圃の中に見えます。推定全長約120mの前方後円墳。布留式土器がまとまって出土しており3世紀後半の古墳と考えられています。

東田大塚古墳
○ 慶運寺裏古墳

ホケノ山古墳の東側にある慶運寺本堂の裏手にある長さ13mの円墳。南側に開口した横穴式石室があります。古墳時代後期と考えられています。境内入り口には、石棺の蓋に弥勒菩薩が彫られていますがどの古墳のものかわかっていません。

慶運寺裏古墳

慶運寺裏古墳

慶運寺裏古墳横穴式石室

慶運寺裏古墳横穴式石室

慶運寺石棺

慶運寺石棺

○ 茅原大墳古墳

慶運寺古墳から道なり南側にある全長85mの前方後円墳。朝顔型埴輪、家形埴輪などが出土。5世紀前半の古墳と考えられています。

茅原大墳古墳
○ 狐塚古墳

茅原大墳古墳から南西の方向。車が通れない小さな踏切のjr線沿い、田圃の中にあります。 墳丘は完全に削られて横穴式石室が露出しています。奈良県最大級の横穴式石室で長さが17.3m、古墳は40m程度の方墳と考えられています。石室には、三つの石棺があったとの子ですが現在はありません。

狐塚古墳

狐塚古墳

狐塚古墳玄室

狐塚古墳玄室

○ 中山大塚古墳崩された古墳・・城に崩され、神社に崩され、山の辺の道にくずされ・・

大和古墳群に属する全長132mの先方後円墳。山の辺の道のルート内。前方部は大和神社のお旅どころがあり削られており後円部戦国時代に城郭として利用されていたのでけずられています。竪穴式石室は後円部の中央部分に埋蔵されています。調査時には盗掘等であらされていましたが、石室は香芝市の春日山の輝石安山岩が使用されています。一緒に出土した埴輪などから古墳時代初期のものと考えられています。

柿本人麻呂碑からの中山大塚古墳

柿本人麻呂碑と中山大塚古墳

 竪穴式石室(案内板より)

竪穴式石室(案内板より)

上空から中山大塚古墳

上空から中山大塚古墳

○ 西山塚古墳(本当は衾田陵?)

大和古墳群で唯一時代の新しい(6世紀終わり)全長116mの前方後円墳です。天理では西乗鞍古墳と同時代と考えられています。開墾のときの記録から家型石棺が埋蔵されていたと考えられています。山の辺の道で民家のすぐ脇にあり古墳上はみかん畑になっています。傾斜地にあり周濠は4つの池からできています。製作時期の観点からこちらが本当の継体天皇の皇后である手白香皇女の墓という説が有力です。

西山塚古墳
○ 西殿塚古墳(本当に衾田陵?)

西山塚古墳のある集落から山の辺の道から少し山側に上ったところにありる全長230mの前方後円墳。宮内庁管轄で継体天皇の皇后の手白香皇女の墓とされていますが、疑問の声もあります。古墳の前方部形状が先が広がったバチ状で古墳時代前期の形状であることや出土した土器に特殊器台が見つかっていることから3世紀後半の古墳と考えられ、継体天皇の時代(6世紀)から大きくずれるためです。邪馬台国の台与の墓という説も。

西殿塚古墳

西殿塚古墳

宮内庁の手白香皇女の墓

宮内庁の手白香皇女の墓の表示

○ 東殿塚古墳(祭祀場の跡)

東殿塚古墳へは西殿塚古墳の北側の小道を登っていったところにあります。この道は舗装されていますが非常に急坂(自転車の前輪が持ち上がりそうなくらい)です。葺石の跡があり古墳であることは分かりますが古墳の概観は分かりにくいです。全長139mの古墳で特殊器台埴輪などたくさんの埴輪が出土し埴輪祭祀を行っていたといわれています。3世紀後半の初期の古墳。

東殿塚古墳への道

東殿塚古墳への道

○ 下池山古墳 当時のハイテクの塊 ”大型内行花文鏡"が出土

念仏寺から山の辺の道を左側にそれ(山辺の道が右に曲がっているので直進方向)100m先左手にある巨大なため池右側の小高い古墳が下池山古墳です。ため池を作られる際に一部崩されましたが、前方後方古墳という珍しい形の全長120m4世紀前半の古墳です。埋蔵施設としての竪穴式石室以外にも小石室が見つかりました。竪穴式石室は残っていることが珍しい木製の棺が見つかりました。これは石室内に排水施設があり、保存状態が良かったためと考えられます。出土物としては国産大型(約5kg)の大型内行花文鏡や国産の絹製品、さまざまの彩色されたウサギの毛織物など当時のハイテク技術を集約したような古墳です。

下池山古墳(念仏寺側から)

柿本人麻呂碑と中山大塚古墳

下池山古墳(国道169号線から)

下池山古墳(国道169号線から)

大型内行花文鏡

大型内行花文鏡

○ 波多子塚古墳(埴輪の原型が出土)ヒエ塚古墳(箸墓古墳と同年代?)

波多子塚古墳は山の辺の道を念仏寺を通りすぎ右手に燈籠山古墳(古墳の上にお墓がある古墳)左折し200mほど行ったところ左手に案内表示が山の辺の道沿いにあります。古墳の形状は下池山古墳と同じ全長140mの前方後方墳です。山の辺の道から見えるのは後方部です。古墳上は果樹園になっていますが畑を開墾する際に削られ細長い形になったようです。また発掘調査により現在はない周濠があったことやその外に外堤が見つかっています。外堤部には未盗掘の小石室も見つかっています。この古墳では、都月形埴輪という古いタイプの埴輪が見つかり4世紀はじめ東殿塚古墳より少し新しい古墳と考えられています。

波多子塚古墳

波多子塚古墳

○ ヒエ塚古墳

ヒエ塚古墳は、波多子塚古墳の看板のすぐ先の道を山の辺の道から西に折れて200mほど行ったところ左手に見える全長120mの前方後円墳です。ちょうどくびれのところに道が通っているます。ヒエ塚古墳は前方部がバチ状に先が広がった形で古墳時代初期の箸塚古墳とよく似た形状をしています。また発掘調査で周濠と周濠部に布留0式という3世紀後半の土器が見つかり、箸墓古墳と同じく初期の古い古墳の可能性があることが分かりました。またヒエ塚古墳の外堤防部は西の県道パイパスまで達しており遺構はバイパスの下に埋められています。

ヒエ塚古墳

西殿塚古墳

ヒエ塚古墳外観

ヒエ塚古墳外観

○ ノムギ古墳(周濠部はヒエ塚と隣接)

ノムギ古墳ヒエ塚古墳を見渡す道をさらに西に50m進むと広い県道バイパスが南北に走っておりこちらを南下する方向の左折します。案内板が道路上にあるのですぐに分かります。全長63mの前方後方古墳です。発掘調査で周濠と周濠部に布留0式土器も出ましたが同時にそれより新しい鰭付円筒埴輪が見つかっています。ヒエ塚古墳より新しい時期に作られたと考えられています。ノムギ古墳も周濠の一部が県道バイパスに当たっていますが遺構は道路の下に埋められています。

ノムギ古墳

ノムギ古墳

○ マバカ古墳(最古級古墳か?)

マバカ古墳はノムギ古墳から50m先右手”刀根早生柿発祥地”の石碑があるところです。全長80mの前方後円墳です。墳丘は当然のように柿畑となっています。この古墳の特徴は周濠部から”庄内式土器”という3世紀前半の可能性のある土器が見つかったことです。本当に古墳が作られたのが3世紀前半なら最古級に前方後円墳になりますが、古墳の形状から見ると疑問な点があることや、庄内式土器の年代が学者によってばらついていることから意見の分かれる重要な古墳です。また河川の跡も見つかっていて古墳ができた時代に川として機能していたようです。遺構は道路の下に埋められています。

マバカ古墳

マバカ古墳

○ 栗塚古墳(国道に削られた古墳)

コンビニの裏手にあります。塚古墳は全長120mの前方後円墳ですが、前方部は完全に国道169号線と民家に削り取られ跡形もありません。

栗塚古墳

栗塚古墳

○ 大和神社

粟塚古墳から国道169号に出ると大和神社の看板があり脇道にでます。(上ツ道)上ツ道沿いに1kmほど進むと、大和神社に出ます。大和神社は”戦艦大和”ゆかりの神社として有名ですが祭神や起源などはっきりしないことが多いようです。桜井市の穴師または現在の長岳寺から移転したとの説もあります。

大和神社
○ 馬口山古墳

上ツ道沿いに進むと池の横大和神社の手前に案内の看板があります。全長110mの前方後円墳で特殊器台埴輪の破片が見つかっています。3世紀初めの古墳時代初期の古墳と考えられています。

馬口山古墳
○ フサギ塚古墳

上ツ道を大和神社を通りすぎ50mほど進んだ左手住宅街の奥にフサギ塚古墳があります。フサギ塚古墳は西向きの前方後円墳で前方部は60m程度あると考えられています。

フサギ塚古墳
○ 矢矧塚古墳

全長102m高さ4mの前方後円墳。墳丘のの形は大きく変わっているとのこと。

矢矧塚古墳
○ 東乗鞍古墳

夜都岐神社をでて100m先左手の畑の中にある森です。畑の中を横切り竹やぶと柿畑の境から竹やぶ方向に進み、横穴式石室を見ることができます。

東乗鞍古墳(横穴式石室と石棺)

東乗鞍古墳詳細

○ 西乗鞍古墳

東乗鞍古墳~山の辺の道を100mほど行き大きな道路(国道25号線)で西に100m進むと左手にあります。春には一面桜の森になります。

西乗鞍古墳

西乗鞍古墳詳細(桜の森)

○ 峯塚古墳

峯塚古墳へのアクセスは、小墓古墳と西乗鞍古墳の間の県道51号を北に直進すると400mほど先に天理高校高校・大学へ向かうカーブのある坂道につきます。カーブのある坂道で天理高校・大学に向かわず、右折(石上神宮の看板)県道51号沿いえお直進します。約100m先左手にフェンスのあるグラウンドがあります。その向かい畑の中にビニールハウスのあるフェンスで囲まれた敷地がありこちらの横に少し広いあぜ道(写真の自転車の置いてある方向)がありますのでこちらにはいります。あぜ道50m先に左に曲がる少し狭いあぜ道がありさらに50m進むとお地蔵さんがおられ分かれ道がありますのでこちらを右折し竹やぶ目指して歩きます。左手に広葉樹が途切れた竹やぶが峯塚古墳で花崗岩できれいに加工された横穴式石室(岩屋式)を見ることができます。80mの円墳で7世紀前半の古墳。

県道51号グラウンド

峯塚古墳あぜ道

あぜ道の目印(ビニールハウス)

峯塚古墳地蔵

地蔵のある分かれ道→右折

峯塚古墳入り口

左手に竹やぶが入り口

峯塚古墳横穴式石室

峯塚古墳横穴式石室

○ 小墓古墳

小墓古墳へは西乗鞍古墳の前を南北に走る県道をはさんで西側約50m先にあります。全長約80mの前方後円墳で周濠の跡が確認されています墳丘から土師器、須恵器と人や馬、鹿などの形象埴輪が見つかっています。5世紀前半の古墳と考えられています。

小墓古墳

小墓古墳

○ 塚穴山古墳

塚穴山古墳へは西乗鞍古墳~県道51号が右に曲がるところで道なりに左に曲がりますそのまま400m直進すると天理高校があります。石室内の写真をとるなら天理高校に入れさせてもらってとるのが良いでしょう。場所的には天理高校南西端で体育館の裏手となります。眺めるだけなら天理高校の敷地に沿ってぐるっとまわり(天理参考会館の前を左折し数百メートル最初の細い道を左折さらに数百m行くと左手に善福寺の参道があります。善福寺参道の左手に小さな境内がありますが右手がお墓になっています。塚穴山古墳は右手墓場の突き当たり奥から斜め上から見下ろせます。 塚穴山古墳は長さ63mの巨大な円墳で6世紀末から7世紀の古墳と考えられます。巨大な石室の規模は石舞台に匹敵し、長さが24m高さは6mあります。天井石はなくなっています。

 

塚穴山古墳上から

塚穴山古墳上から

塚穴山古墳下から

塚穴山古墳下から

○ 西山古墳

西山古墳へは善福寺の境内の前の道をまっすぐ100m歩くと左手にあります。全長185mで日本最大の前方後方墳です。周濠は一部のみ残っています。後方部に竪穴式石室がありましたが第二次世界大戦で砲台に使うため掘り返され石材が散乱しています。石材は大阪府柏原市の芝山のものです。4世紀半ば~後半の古墳です。

西山古墳

西山古墳