奈良観光スポットのご案内

明日香村観光ガイド

飛鳥石造物ガイド(明日香村ハイキング・サイクリングコース)

○ 明日香村について

奈良県高市郡明日香村は、奈良市の平城京に移る前の飛鳥時代・白鳳時代に都のあった場所です。この時代は聖徳太子や大化の改心前後の時代で仏教美術品といえば真っ先に法隆寺が思い浮かびますが、明日香村には多くの遺跡特に石造物や、古墳が有名です。 明日香村の石造物としては、古墳の石室である石舞台や鬼の雪隠、鬼のまな板のほかにも、人や動物をかたどった、猿石、亀石、人頭石、須弥山石、石人像、二面石、用途さえも良く分からない酒船石、亀形石造物、益田岩船、などがあります。このような謎の石造物については考古学者はもちろん様々な人が色んな説を唱えており興味をそそられます。中でも小説家の松本清張"火の路”では斉明天皇の時代の建築工事の記述と関連して、ペルシャ人との関係やゾロアスター経との関係を指摘しているのも面白いところです。確かに、光永寺の人頭石や飛鳥資料館の石人像は日本人離れしているといわれればそのようにも見えます。

○ 明日香村へのアクセス案内

1. 電車:近鉄橿原神宮前駅東口下車。または飛鳥駅下車。
2. 車:ビジネス旅館やまべから国道169号線を南下25分。
3. 自転車・ロードバイク::ビジネス旅館やまべからの Garminサイクリングマップやまべ~明日香村~談山神社~やまべ




明日香村は駐車場が少なく、細い道が多いです。また、猿石、亀石、酒船石などは車が通れませんので、車は駐車場において、サイクリング・ハイキングで回られることをお勧めします。

駅の近くにレンタサイクルがあるのでとても便利です。また飛鳥周遊歩道には観光スポットに近く案内表示も充実しています。

飛鳥駅~橿原神宮前駅のレンタサイクル

近鉄橿原神宮前:近鉄サンフラワ-レンタサイクル, 0744-28-2951・9:00~17:00
近鉄飛鳥駅前:レンタサイクル万葉,Tel.0744-54-3500・ 8:30~17:00

明日香村お勧めイベント

○ 飛鳥光の回廊

9月中旬 2~3日間:飛鳥の観光スポット全域 飛鳥のお寺・スポット駐車場が18:00以降入場無料になります。町全体がろうそくの光でライトアップされます。 9月中旬-10月中旬

○ 案山ロード

9月中旬~10月中旬:明日香村稲渕地区 日本の棚田百選に選ばれた稲渕地区で地元学生の作った手作り案山子のコンテストが開かれます。彼岸花がきれいです。

明日香村石造物・古墳観光マップ

印刷用PDFファイルはこちら >明日香石造物マップ

明日香村石造物ガイド 飛鳥駅 ⇒ 飛鳥周遊歩道 ⇒ 石舞台方面 ⇒ 飛鳥資料館

○ 猿石

飛鳥駅から明日香周遊歩道に入ると一番最初にあるのが、猿石です。明日香村にはいつ誰が何のために作ったかわからない石造物があります。猿石もそのひとつです。一般に猿石と呼ばれているのは、明日香村大字平田の吉備媛王の墓前にある4体と高取城近くにある1体です。5体ある猿石のうち"猿"に似ているのは高取錠近くの一体のみで 吉備媛王墓の猿石はどう見ても猿には見えません。吉備媛王の墓前の猿石は、左から「女」「山王権現」「僧」「男」と呼ばれています。そのうちの「女」「山王権現」「男」の3つは後ろに天邪鬼の様な顔があるそうです。現在は柵の中にあるので、後姿はわかりませんが飛鳥資料館にレプリカがあるのでこちらで後姿も確認できます。吉備媛王の墓前の4体と高取城近くにある1体はもともと欽明天皇陵(きんめいてんのうりょう)の南の田んぼで掘り起こされ現在の場所に移動されたとのことです。

○ 猿石”女”
○ 猿石“山王権現”
○ 猿石”僧”(左)、猿石”男”(右)
○ 猿石 高取城近く

鬼の雪隠・鬼のまな板

もともと鬼の雪隠と鬼のまな板は2つで1セットとなっており、古墳の石室だったようです。鬼のまな板が底,鬼の雪隠が蓋だったのがばらばらになったそうです。大化の改新の翌年に天智天皇の第一皇子で持統天皇の実弟・建王と、建王の祖母・斉明天皇が合葬された可能性が高いと考えられています。俎板の表面には小さな長方形の穴が並んでいますがこれは高取城を作る際この岩を切り取ろうとした跡だそうです。

○ 名前の由来

地元の伝説で、この近くに住んでいた鬼が霧を降らせ迷った旅人を”鬼の俎板”の上で料理しおなかが一杯になったところで鬼の雪隠で用を足したといわれています。

鬼の雪隠

鬼のまな板

亀石

亀石もいつ誰が何のために作ったかわからない明日香村の石造物のひとつです。鬼の雪隠・俎板から数百mはなれたつつじの植え込みの中にちょこんと座っています。重さは40tで花崗岩でできているとのこと。

○ 亀石の伝説

現在南西の方向を向いている亀石は最初は東向きで少しづつ向きをかえたとか。そして亀石の頭が西を向くとき大洪水が起きるといわれています。これは、奈良が昔湖だったことに由来していると考えられ、土器の分布などから少なくとも弥生時代ぐらいまではかなり大きな池が奈良県の田原本近辺に残っていたと考えられています。

亀石(前から)

亀石(後ろから)

二面石 三光石 橘寺

橘寺の本堂前を通って奥に入った所の百日紅の木の下にあります。1mくらいの大きさでで見落とさないよう木の看板があります。二面石は石の表と裏に人間の善と悪の表情を表している石造物といわれています。橘寺は聖徳太子誕生の地といわれており石碑が立っています。三光石は聖徳太子が勝鬘経(大乗仏教の経典:聖徳太子が解説書を発行した)ご講参のとき”月の光”"日の光””星の光”の3種の光を発したといわれています。

○ 橘寺の名前の由来

垂仁天皇は不老長寿の国があると聞き、田道間守に探すように命じました。その道中田道間は老人が若い娘に叱られて、泣いている光景に出くわした。実は若い娘は老人の母親だったのです。息子が年老いたのは、不老長寿の木の実をすっぱいから食べたくないと言って食べなかったためとのこと。これを聞いた田道間守は、その実のなる木を数本もらい、帰国したが、天皇はすでにこの世を去っていた。悲しんだ田道間守は、不老長寿の実のなる木を持ち泣きながらこの世を去った。この不老長寿の木が”たちばな”であると言う。田道間守の死後、景行天皇は彼の遺志を受け継ぎ、持ち帰った”たちばな”をこの地に植え、この地を橘(たちばな)と呼ぶようになった。

橘寺と彼岸花

橘寺三光石

二面石(悪面)

二面石(善面)

石舞台

明日香周遊歩道から山手の方に数百m入ったところにあります。石舞台の周りは芝生の公園になっており草原のど真ん中かに巨大な岩があつまっている様子はは迫力があります。重さは75トンを超えると推定される日本最大級の横穴式石塞で横穴の中に入ってみることができます。30数個の巨石を積み上げて作られたこの古墳は、飛鳥のシンボル的存在です。これを『日本書紀』の蘇我馬子が葬られた『桃原墓』だとみる説現在が最も有力。もとは土に覆われた上円下方墳だったらしいが、現在のように石がむき出した状態になった理由不明です床面周囲に排水溝をめぐらすど上代土木事業のすばらしさに驚かされます。また春には桜と菜の花が、秋には石舞台の周りに白の彼岸花が咲き誇りきれいです。

○ 石舞台名の由来

昔、月夜に狐が美女に化けて、この石の上で舞いを舞ったという伝承によるそうです。

石舞台と桜

石舞台内部

石舞台の白い彼岸花

梅と菜の花と桜(つぼみ)

飛び石 マラ石

石舞台の横の道をさらにまっすぐ1kmほど上ると右手に稲渕宮跡に続く道があります。マラ石はその道は行ってすぐのところにあります。文字とおり男根をかたどったものです。同じように男根をかたどったものが飛鳥坐神社にもあります。飛び石は石舞台から続く路をに稲渕宮跡方面に曲がらずさらに1kmほどまっすぐいったところにあります。案内表示がなければ見過ごしてしまいます。小川を横切るように直線的に石が配置されています。

飛鳥飛び石

飛鳥マラ石

稲渕地区

せっかく稲渕地区まで足を伸ばすのでしたら、秋の彼岸花の季節をお勧めします。案山子祭りが開催されています。地元小学生の作った手作り案山子が展示されている案山子ロードがあります。日本の棚田百選に選ばれた見事な棚田の彼岸花は見事です。

稲渕地区男綱

稲渕地区の棚田(日本棚田百選)

案山子祭り

案山子祭り

人頭石 光永寺

光永寺へは壺阪山駅前の道を直進国道169号を越えて土佐街道を左に曲がり300mほど歩いたところにあります。人頭石はお寺の境内に入る前左手の民家の門の中にあります。一応お寺の方に声をかけたら良いかと思います。モアイ像のような西洋風の横顔の像です。頭の部分のくぼみに水をためて”花瓶”のようになっています。お寺の境内にも謎の石造物があります。

人頭石

光永寺境内石造物

益田岩船

益田岩船には近鉄岡寺駅から西に約1km白橿団地(橿原ニュータウン)の外れ市立白橿南小学校の隣の小高い丘の上にあります。益田岩船はその形や用途が謎なのはもちろん、どうやって岡のてっぺんまで運んだか気になるところです。形は近くの牽牛子塚古墳の石室に似ているようにも見えますが何のために作られたかは諸説あり謎のままです。四角の形状の岩がちょうど東西南北に向いていることから占星術に使われたいう説もあります。

益田岩船

益田岩船上から

岡寺の立石

岡寺の仁王門の左で神社の向かいの山の林道を入っていったところにあります。林道を100mほど歩くと標識があります。標識から左手10mほど進んだところにります。高さ3m程度の自然石のような外観です。立石はほかにも、上居や豊浦寺、定林寺跡にもあります。結界をあらわすという説も。

岡の立石への目印左手10m

岡の立石(横から)

岡の立石(前から)

上居の立石

豊浦の立石

定林寺跡の立石

酒船石

石舞台から飛鳥寺に向かう道で天理教岡大教会の前の細い道を上ってゆくと100mほど先にあります。幾何学的模様に彫られた溝は何のためのものなのか好奇心をそそられます。近くで見つかった亀形遺跡や、石人像も溝や噴水?設備的な構造をしていることから溝に液体を流したのではという説もあります。

酒船石(上から)

酒船石(横からの切り出し跡)

亀形石造物 酒船石遺跡

平成12年に発見された石造物、日本書紀には斉明天皇が大規模な土木工事を行ったことが知られているが、この遺跡は、"宮の東の山の石垣”と考えられています。導水施設のように見えるこの石造物は谷底に建築されており鑑賞に適する場所ではないことから、祭祀用ではないかと考えられています。

亀形石造物 酒船石遺跡(全体)

亀形石造物

蘇我入鹿首塚

飛鳥寺の西側の広場(飛鳥寺西門跡)に蘇我入鹿の首塚があります。飛鳥寺は日本で最初の本格的なお寺で中大兄皇子と藤原鎌足が蹴鞠の会でであった場所です。二人は飛鳥寺から西の甘樫丘の蘇我氏の邸宅を見据えて大化の改新の計画を練ったとされています。ところで歴史上の悪者とされる入鹿の首塚はいつもきれいに花が飾られています。写真には折り鶴まで備えてあります。それに対して大化の改新を行った側の藤原の鎌足はどうしょうか?藤原の鎌足の生家といわれる小原神社は荒れ放題、鎌足を祭った談山神社こそ観光シーズンはにぎわいますが奥の多武峰墓にはほとんど人も通りませんし、本当の墓とも言われる阿武山古墳は大学の敷地になっています。これも歴史の謎といえるかもしれません。

蘇我入鹿首塚

飛鳥大仏

弥勒石

入鹿の首塚から飛鳥周遊歩道に沿って飛鳥川を南下すると、甘樫の丘向い飛鳥川沿いの木の小屋の中に弥勒石があります。弥勒石は建物の中に入っていて見づらいですが、一応目と口があるとのことで人をかたどっているようです。弥勒石を拝むと下半身の病気に聞くといわれており地元の方も散歩がてら立ち寄られています

弥勒石のある小屋

飛鳥弥勒石

飛鳥資料館 石神像(石人像) 須弥山石 猿石裏の顔

飛鳥川沿い石神遺跡から出土した石人像は2人の人が抱き合っているようにも見えるし、橘寺の二面石のように裏と表で別の顔をしているようにも見えます。石造物の中には穴が開いており噴水施設とも考えられます。ユーモラスな表情が猿石や亀石と共通するものを感じさせます。

須弥山石も石人像と同じく石神遺跡から出土した噴水施設と思われる石造物です。こちらは一部がかけているので復元されていますが表面に模様が入った謎の石造物となっています。

また、ここでは猿石のレプリカも展示されており実物では見ることができない猿石の裏側も見ることができます。猿石も表側とは別の裏側の顔を持つものがあります。

そのほかにも明日香村で出土した謎の石造物やそのレプリカが多数展示されています。

石人像

須弥山石

猿石”山王権現”裏の顔(レプリカ)

猿石”男”裏の顔

猿石”女”裏の顔

飛鳥資料館謎の石造物